クララ・ツェトキンとツール大会(上)

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 クララ・ツェトキンとツール大会

 戦争(第一次世界大戦)からもどってきた頃の自分の思想状況についてアラゴンは語る。
 「……わたしは政治的にはひじょうに無知だった。なにも知らなかった。わたしの知識はほかの領域に限られていたのだ。……しかし、戦場はどのようなものかを見たおかげで、わたしはある側に身を置いた。一般的に言って、わたしを特徴づけていたのは、政治的知識の完全な欠落だった。二つの出来事が、結局わたしの人生を方向づけるのに役立つこととなった。ひとつは、クララ・ツェトキン──ひとりのドイツ婦人がツール大会に出席し、フランスの党大会で発言したことである。それはブルトンにとっても、わたしにとっても、きわめて重大なことだった。というのは、独仏両政府に反対する独仏両人民のこの接近は、戦争反対のもっとも激しい行動だったからである……そして第二の出来事はモロッコ戦争で、それはアンドレとわたしを共産党員にしたのであった」(『アラゴンは語る』)
 アラゴンの人生を方向づけた二つの出来事のひとつ、ツール大会──フランス社会党第十八回ツール大会は、一九二〇年十二月二十五日、ツールのナショナル街サル・ド・メナージュにおいてひらかれた。この大会がひらかれたときの政治的状況を一瞥してみよう。
 すでに戦争中の一九一五年九月、レーニンらの提唱のもとに、戦争反対の国際主義的社会主義者の大会がツィンメルワルトで、翌年にはキーンタールでひらかれ、「日和見主義に征服された第二インタナショナル」にかわって帝国主義戦争に反対してたたかう、レーニンの指導するボリシェヴィキののろしがあげられた。一年後の一九一七年十月、レーニンとボリシェヴィキに指導された、ロシアの労働者・農民は自己のソヴエトをうちたてた。解放されたロシア人民は世界に平和を宣言し、「帝国主義戦争を内乱に!」「万国の労働者よ団結せよ!」のアピールが、大戦下の荒野に、焼かれた町々に、塹壕にひびきわたった。そして一九一九年三月、レーニンの指導のもとに第三インターナショナルが設立される。
 アナルコ・サンディカリスムと平和主義に縛られていたフランスの労働者階級も、混乱のなかに進むべき道をさがし求めていた。一九一九年四月、ロシア革命干渉のため黒海に出動したフランス海軍の水兵たちは、命令を拒否して反乱に立ちあがり、マストに赤旗をひるがえしてツーロン港にひきあげた。第三インターナショナル加盟のための、古い社会主義者たちとのたたかい、日和見主義者たちとの熱烈な論争が行なわれた。戦争に協力して社会主義を裏切った社会党の内部にも、この状況は反映していた。
 こうしてツール大会では、四分の三の多数派が第三インターナショナル加盟を支持し、社会党から離れて、ここにフランス共産党を設立した。
 クララ・ツェトキンは、官憲の眼をくぐってフランスに潜入し、第三インターナショナルの代表者として、レーニンのメッセージをたずさえて、大会に出席した。
 アラゴンはクララ・ツェトキンの出現にひどく感動して、のちに『バーゼルの鐘』のなかに新しい女性像としてクララを描き、つぎのように詩にもうたう。

  あの冬 クララ・ツェトキンがツール大会に戦慄とともに
  現われた時 もしもわたしが心揺すぶられなかったら
  わたしの魂はまことに下司だったということになる
  あれこそはまさに詩だと わたしは思ったのだ

  おお それはわたしを燃えたたせた そしてわたしは
  このひとりの女が投げつけた 戦争反対の叫びほどに
  あのドイツの同志の血の叫びをきいたことはなかった
  その血はいまもわれらに 連帯を呼びかけているのだ
                   (『眼と記憶』)

(つづく)

<新日本新書「アラゴン」>

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