ピカソ バラ色の時代 ──「洗濯船」の住人(上)

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 バラ色の時代

 「洗濯船」の住人

 一九〇四年四月、ピカソはバルセロナからパリに出る。四度目である。その後はずっとパリに腰を据えることになる。同郷の彫刻家パコ・デュオが自分のアトリエをピカソにゆずってくれたので、モンマルトルのラヴィニャン街十三番地(こんにちのミミル・グドー広場)の「洗濯船(パトー・ラヴォワール)」に落ちつく。
 「洗濯船」は、むきだしの梁と床から成る、ぐらぐら揺れる奇妙な建物で、モンマルトルの丘の中腹に建っていた。上層の部分はラヴィニャン広場のうえに出ていた。まわりには、あばら家やいかがわしい酒場ばかり。(「洗濯船」は一九七〇年五月に焼失する。)ピカソはここに一九〇九年十月まで住む。その頃の女友達フエルナンド・オリヴィエは、ピカソのアトリエについで書く。
 「『青の時代』の終り頃であった。アトリエのなかには、未完成の大きな絵がいくつも立てかけてあって、仕事の熱気があたりにみなぎっていた。だが、なんという乱雑さのなかの仕事だろう! おお! 部屋の隅には四つ足のマットレス。錆びた小さな鋳物のストーヴのうえに、黄色い陶の洗面器がのっかっていて、それが洗面に役立った。石鹸のかけらが白木の机のうえに置いてあった……蒿の椅子ひとつ、あらゆるサイズのキャンバス、床に散らかった絵具のチューブ、絵筆、筆洗、エッチング用硝酸洗の皿……カーテンはない」
 フェルナンドはまたその頃のピカソの肖像をつぎのように描いている。
 「……ピカソは小さくて黒くてずんぐりとしていて、不安げで悲しげで、暗い眼は深くて異様で、ほとんど動かなかった。不器用な身ぶり、女のような手、ぞんざいで粗末な服、濃くてつやのある黒い髪の毛が、知的で頑固な額にかかっていた。身なりは、なかばボヘミヤンで、なかば労働者で、長髪がくたびれた上衣の襟を覆っていた……」 (フェルナンド・オリヴィエ『ピカソとその友人たち』)
(つづく)

<新日本新書『ピカソ』──バラ色の時代>

ピカソ1904年


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