エリュアール「一九三六年十一月」

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 一九三六年十一月
                  ポール・エリュアール

  見よ 廃嘘を作りだすやつらの働きぶりを
  やつらは金持で辛抱強く整然として腹黒くけだものだ
  やつらは地上を独り占めするために全力をあげる
  やつらは人間の屑で 人間を汚物だらけにする
  やつらは愚かにも宮殿を地べたに折り曲げる
        *
  ひとはすべてに慣れる
  あれらの鉛の鳥のほかには
  やつらの輝かしいものへの憎しみのほかには
  やつらに席をゆずるほかには
        *
  潮のひいた都市(まち)よ 救われた一滴の水から成り
  白日の下 大切にされる唯一のダイヤモンドから成る海よ
  マドリードよ 見せしめとなることを拒否する
  あの怖るべき財宝のために苦しんだ人びとに馴れた都市(まち)よ
  あの輝かしい財宝に必要な貧困に
  苦しんだ人びとに慣れた都市(まち)よ
        *
  口はふたたび真実の方にのぼってゆけ
  息吹け 断ちきられた鎖のようなめったにない微笑みよ
  人間は愚劣な過去から解き放たれて
  兄弟のまえに同類の顔を挙げるがよい

  そして理性に放浪の翼を与えよ


 一九三六年はまたスペイン内戦の年である。七月、ファシスト・フランコの軍隊が、ヨーロッパじゅうのファシストたち──とりわけヒットラーとムッソリーニの支援と教会の祝福のもとに、スペイン共和国に襲いかかった。そして一九三六年九月のとある夜明け、グラナダの郊外で、ファシストたちは詩人ガルシア・ロルカを銃殺した。ロルカは政治活動には無関係だったが、しかしその自由の精神を憎悪したファシストたちは、まずロルカを血祭りにあげた。のちにエリュアールはロルカを記念して、『ドイツ軍の集合地で』のなかの詩で、フランス・レジスタンスの殉難者たちの名のなかに、ロルカの名をむすびつける。エリュアールの言ったように、敵の顔はいつでもどこでも同じなのだ。
 その頃、マドリードで、荒れ狂うファシズムの暴虐をまのあたりに見て、ひとりの南米のモダニスムの詩人が、最初のヒューマニスムの叫びをあげて、『心のなかのスペイン』を書き、共産主義への一歩をふみだした。──チリの詩人パブロ・ネルーダである。のちに彼はエリュアールの友人となる。『心のなかのスペイン』は一九三八年、アラゴンとルイ・パロの共訳によって仏訳され、フランスの詩人たちに深い感銘と影響を与える。
 スペイン市民戦争はいよいよ激化し、拡大する。フランスのブルム人民戦線政府は、スペイン人民戦線にたいして「中立政策」を決定する。それはスペイン共和国にたいするフランス社会党の裏切りにほかならなかった。それはフランコの反乱軍を助けることであり、反乱軍の立場は優位になる。マドリードは脅威にさらされ、爆撃される。そのとき、エリュアールは「一九三六年十一月」という有名な詩を書く。

 この詩はルイ・パロの紹介によって、一九三六年十二月十七日付の「ユマニテ」紙の一面に掲載された。パロはスペインからフランスに帰って、共産党機関紙の編集部にはいっていたのだ。状況にうながされてエリュアールはふたたび共産党に接近するが、それはブルトンを苛立たせずにはおかなかっただろう。

<新日本新書『エリュアール』>
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