レーニンとピカソと

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 レーニンとピカソと
                    ラファエル・アルベルティ

われわれの時代の 二つの偉大な革命が交差した

一つは東からやってきた もう一つは西からやってきた
今世紀の初め レーニンは三〇歳 ピカソはちょうど二〇歳だった

ひとりは「十月」と呼ばれた 搾取から解放され おのれの運命の主人公となって
処女地へむかって出発する新しい人間

もうひとりは ピカソと呼ばれた 新しい芸術 なんの拘束も束縛もない自由
完全に解き放された奔放な想像

十月革命は レーニンなきあともつづいている

ピカソ革命は ピカソなきあともつづいている

ゆたかな天才がその出発点であった

レーニンは一九二四年に死んだ

ピカソは一九七三年に死んだ

しかしじっさいには どんな日付けも 彼らの死を示すことはできないだろう

毎日ひとびとはレーニンについて語っている

毎日ひとびとはピカソについて語っている

そして これから何世紀にもわたって この二つの名まえは
ひとびとの口にのぼるであろう
                       (『途切れざる光』)

 このように、レーニンとピカソを並べてみせたラファエル・アルベルティはスペインの大詩人である。一九三〇年代のスペイン・ルネッサンスの詩人のひとりであり、ガルシア・ロルカやパブロ・ネルーダの友人であったこの詩人は、またピカソの友人であり、彼と同郷のアンダルシア人であった。二人は一九三〇年代にパリで出会っている。一九七三年五月から九月にかけて、南仏アヴィニョンの法王庁宮殿においてピカソ展がひらかれた。そこに陳列された二〇一点の画集が刊行された時、アルベルティはすばらしい詩をまじえた解説『途切れざる光』を書き添えた。その序文で彼はレーニンとピカソを並べてみせたのである。
 アルベルティはスペイン市民戦争以来、亡命生活を送り、その頃はローマの郊外に落ちついていた。したがって南仏ムージャンにピカソを訪れることは容易であった。こうして二人のアンダルシア人の再会はゆたかな協力を生むことになった。

<新日本新書『ピカソ』──序 「神話」を超えて>
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