アラゴン──初めてのソヴェ卜訪問・マヤコフスキー追悼

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 「わたしの愛の小舟は難破した・・・」
 そう書きのこして、一九三〇年四月十四日、マヤコフスキーが自殺した。エルザの姉のリーリヤはマヤコフスキーの愛人だった。エルザは不幸な姉を慰めに行こうと思い、それにアラゴンを自分の身内に紹介したいとも思った。
 一九三〇年八月、彼らはソヴエトヘ出発する。
 「一九三〇年の後半、シュールレアリスト・アラゴンは、抒情的なイメージのいっぱい詰まった頭で、しかし結局、十月革命についてはひどく無知のまま、モスクワを訪れた。新しい旅行に出かけるという以外の考えもなく、この旅行の重要さについて確固とした考えももたずに・・・(『社会主義レアリスムのために』)
 彼らはゲンドリコフ通りのマヤコフスキー博物館を訪れ、五カ月前に自殺したこの詩人を追悼し、追想する。

 ゲンドリコフ通りの 
 客間のテーブルをかこんで
 わたしたちは いっしょに腰をおろしていた
 まるで いまにも扉口があいて あの大男が
 窓に射す陽のように ぱっと現われそうだった
 ・・・
 ああ 彼はほんとうに行ってしまった そのわけは永遠にわからぬだろう
 そのわけを訊ねるのは ほんとに彼を愛していた人たちにはむごかろう
 あんなに何度も 彼は地獄から抜けでてみせると約束した
 ・・・
 ネバ河は この世捨て人をもう離すまいと 彼をその氷のなかに閉じこめる
 彼はもう銅像でしかない 通りの名 広場の名でしかない
 したしげに鳥が飛んできて その腕のうえで羽根をやすめる
 青銅(ブロンズ)の服のなかで ふるえおののくのは もう風だけなのだ
                    (『未完の物語』)

 アラゴンはまたドニエプルの大水力発電所の建設工事の現場を訪れ、そこで働く何千という青年男女の労働をまのあたりに見て、衝撃にも近い感動をうける。それは、いままで抽象的にしか知らなかった革命というものの、その具体的な建設的な側面を自分の眼でみた者の感動であった。

<新日本新書『アラゴン』──ソヴェ卜訪問・ハリコフ会議>
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