宮本百合子とマヤコフスキーと

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 宮本百合子とマヤコフスキーと
                          大島博光

「わたしの愛の小舟は難破した」──そう書き遺して
「イリイッチ・レーニン」の詩人マヤコフスキーは
一九三〇年四月十四日 みずからの心臓を射ち抜いた

そのときモスクワにいあわせた宮本百合子の伸子は
作家クラブの広間で行われた告別式につらなった
赤い旗と花に埋もれて 詩人は棺に横たわっていた

広間の敷居を越えて棺の足もとで 伸子は見た
「棺からぬっとはみ出すように突っ立っている
マヤコフスキーの大きい大きい 黒靴の底を

そこに光っている 二つのへりどめの三角形の鋲を」
伸子はその光る鋲に見た──「革命の速度におくれまいと
つねに歴史の先頭に立とうとした」マヤコフスキーを

伸子はその光る鋲に見た──「特別大きい額と
特別大きい燃えるような眼をもって いつも
先を急いで歩いていた」マヤコフスキーの姿を

またその夜 工芸博物館の大講堂の「文学の夕べ」が
詩人を追悼し フェーディンがマヤコフスキーの詩を
朗読したのを 伸子はその耳に聞いてきたのだった

それはあの詩だった──エセーニンが自殺したとき
マヤコフスキーが答えて書いた あの詩だった
「この人生では 死ぬのは 死ぬのはやさしい

だが 人生を建設するのははるかにむつかしい」
おのれも奮いたち ひとをも奮いたたせた詩人の詩が
みずから難破した 彼自身の喪の中で読まれようとは

それは二重にも三重にも悲壮なものだったろう
百合子は書く「なまなましい傷心と生の確信とが
不思議な激情となってまじりあっているようだった」

「たたかう階級にすべての詩をささげる」と歌った
あのマヤコフスキーがみずから難破して果てた
そのわけは秘密は ああ だれにもわからぬだろう

やがて伸子は 日本に帰る決意をかためる
「もしかしたら自分の挫折があるかもしれないところ
もしかしたら自分がほろぼされてしまうかもしれないところ

しかし そこに伸子の生活の現実がある そして
伸子が心を傾けて歌おうと欲する生活の歌がある」
宮本百合子はこの伸子の決意を実践し まっとうする

愛と闘いの十二年 彼女は酷暑の牢にぶちこまれる
あらゆる迫害と拷問が 彼女のうえに襲いかかる
しかし何ものも彼女の決意を砕くことはできなかった

戦後いち早く わたしは霧のなかで聞いたのだった
「歌ごえよ おこれ」の 夜明けへの呼びかけを
地獄をたたかい抜いてきた偉大な宮本百合子の声を

<『文化評論』1987.3>

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