粘土と火の労働者ピカソ(下)

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人民の未来予告する陶芸展
 ピカソの「陶芸の年」には後日談がある。一九四八年十一月、ピカソの陶芸展がパリの「思想の家」で開かれ、ピカソ制作の百四十九点の陶器が陳列された。それは彼の作った陶器の十分の一にもみたないもので、じっさいには一九四八年だけでも二千点に近い作品が作られたのだった。
 この陶芸展について詩人レオン・ムーシナックは書く。
 「これらの作品のなかに、明日の社会において芸術家が果たすべき社会的役割が予告されている・・・明日の陶工たちは人民を主人とするだろう。ピカソの豪華ですばらしい作品が未来を予告しているのは、この意味においてである。・・・ピカソの手の中の粘土と火は──それはわれわれにとって、素材と精神の生ける形象化であり、素材と精神の闘争と勝利の形象化である」(「レットル・フランセーズ」一九四八年十二月二日号)
 このピカソ陶芸展の規模の大きさと多様さはパリの批評家たちを驚嘆させ、その成功と反響はたいへんなものであった。若い芸術家たちのなかには、さっそく旅行鞄(かばん)をととのえ、列車にとび乗ってヴァローリスへ向かう者さえいた。

「名誉市民」を記念した彫像
 この年はヴァローリスにとっても新しい運命の年となった。町の陶工たちは、放ったらかしておいた轆轤をとり出して、ふたたびまわし始めた。町は活気をとりもどしてゆく。ピカソは、その芸術、創作、影響力によって、ヴァローリスの経済をたて直したということになる。そうして古いヴァローリスの町はたちまち世界的に有名になり、世界じゅうから観光客の波がおしよせてくるようになる。
 一九五〇年二月、町会はピカソに「名誉市民」の称号をおくることを満場一致で可決した。それにこたえて、ピカソは自分の作った彫像「羊を抱いた男」のブロンズの複製を町に寄贈した。その彫像は町のマルシェ広場に立っている。
 広場におけるその除幕式には、仕事ズボンと白いシャツ姿のピカソが主賓席に座っていた。共産党の芸術担当責任者ローラン・カザノヴァ、エリュアール、トリスタン・ツアラ、ジャン・コクトー、愛人フランソワーズ、町の陶工たち、町民、観光客などが、まわりをぐるっと囲んでいた・・・。
      (おおしま・ひろみつ 詩人)

<『赤旗』日曜版 1983.11.27>
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