アラゴン『未完の物語』

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 『未完の物語』

 『眼と記憶』が主として政治的側面、社会的側面をうたっているのにたいして、『未完の物語』は主として私的な分野をうたっている。アラゴンはみずから書いている。
 「この詩は自叙伝的性格をもっているにも拘らず、作者の人生における物語風日記、あるいは備忘録というよりは、それらから編みだされた一つの物語である・・・こんどは公的な分野よりは私的な分野に重点が置かれている。ここでは以前にもまして愛が重要な場所を占めている」
 『未完の物語』は少年時代から始まり、第一次大戦の時代、ついで二十歳代のシュールレアリスムの時代が歌われ、プリモ・デ・リベラ治下のスペインとロルカの死、「黒シャツ」時代の「わがイタリア」が歌われ、ついにエルザへの愛の歌が大いなるフィナーレをかなでる。とりわけここでは青春の再評価が批判的に行なわれる。シュールレアリスムに彩られた青春は「ここに言葉の闇夜が始まる」のなかに歌われる。

 ここに 言葉の大いなる夜が始まる
 ここに 名前は名ざした当のものから離れる
 ここに 反映が幻想的な手法で描きだすのは
 木洩れ陽が 壁にちらちらこぼれるような
 おぼろ月夜の鏡が 行きずりの人を映すような
 壁が壁とも見えぬ 世界なのだ

 ここに ペてんのたぐいが始まる
 そして語り手は 自分の言葉で なんでも
 創り出せると信じこんでいるのだ
 ・・・

 こうして思いつきを追い 自分から夢中になり
 何を言っているのか 自分でもわからない
 見たまえ それはこんな風に始まるのだ
 もう言葉が きみたちを引きずってゆく
 屋根も見えなければ 地面も見えない
 こうしてひとは奇妙にも 鳥たちの道を辿るのだ

 しかし「わたしはあの頃の情熱や・・・」に移ると、シュールレアリスムを共にした友らとの思い出が、それをなつかしむような調子と美しいイメージで歌われる。

  われらは みんな離ればなれになろうとも
  おお あの頃の友よ わたしが思い出すのはきみらだ
    ふるえる わたしの思い出のなかで
    きみらはむかしながらのまなざしをしている

  われらは パンを分けるように青春を分かち合った
  とどのつまり それはすばらしい春だった
    正しかったことも まちがったことも
    もうどうでもいいのだ むかしの友らよ

 『未完の物語』は、悲歌から闘争の詩へと、また抒情的な哀歌から哲学的な詩へと、きわめて多様である。それはまたユゴー以来、フランス詩が用いてきたもっとも多様なリズムや形式をとり入れている。しかし、その中心的な主題はつねにエルザへの愛であったといえよう。つまり、「女は男の未来だ」(『エルザの狂人』)という主題である。男はただ愛をとおしてのみ、人生における自分の活動の意義をみいだすことができる。愛だけが絶望におちこむことから男を救う。二人だけの幸福ではなく、ひろい集団的な幸福への信頼を鼓舞するのも愛である。これが「女は男の未来だ」というアラゴンの直観的な言葉が意味するところのものと言っていいだろう。そしてひびきの高い「幸福とエルザについての散文」が『未完の物語』のフィナーレとして、「幸福はこの世に存在する」という希望の主調旋律をひびかせている。この詩には、レオ・フェレの作曲によるシャンソンとなってひろく知られているつぎのような詩章もある。

  むかしはただ 反対することしか知らなかった
  むかしはしょっちゅう 黒にばかり賭けていた
  きみに巡り逢わなかったら どうなっていたろう
  時計の文字盤のうえで 止(とま)っていた針は
  きみに逢わなかったら 眠りの森の眠り男は
  片言ばかり言っていたわたしは どうなっていたろう

 しかし詩人はこの長い詩の結論をつぎのように歌う。

  人間の首が 死刑執行人の手で絞められるようにできているとしても
  人間の腕が 十字架に縛りつけられるようにできているとしても
  幸福はこの世に存在する わたしはそう信じているのだ

 「幸福はこの世に存在する」という宣言は、当時一九五六年に幸福が脅かされ、ふみにじられようとしていたことにたいする抗議でもあった。
 ところで『未完の物語』は『断腸詩集』にも劣らない反響を呼んで、多くの読者を獲得した。それだけではなく、一九五〇年の末から、アラゴンの詩は、レオ・フェレ、ジャン・フェラ、レオナルディなどによって作曲されてシャンソンとなり、ひろく歌われるようになる。それはアラゴンの詩が直接的な言葉で読者の心に語りかけていたからであり、またアラゴンが音楽カフェや街で歌われているシャンソンを愛していたからである。
 サドゥールはつぎのようなエピソードを書き残している。
 「一九三四年の夏のある夜、わたしたちが人通りのないサン・タントワーヌ街を歩いていると、静かな街なかに、やるせない歌が拡声器(スピーカー)から流れてきた。するとアラゴンはこう言ってわたしの眉をひそませたものだ──結局ティノ・ロッシは、一時代の大衆の趣味(このみ)と結びついているのだろう。自転車競争のツール・ド・フランスにたいする熱狂のように──」
 このようにアラゴンはシャンソンがひじょうに好きだった。そしてシャンソンはそのお返しとして、彼の詩を電波やレコードを通して街に流している。
 『未完の物語』が刊行された一九五七年の秋、アラゴンはレーニン賞を受賞する。六十歳であった。

<新日本新書『アラゴン』>

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コメント
この記事へのコメント
アラゴンの詩がシャンソンになって歌われていた!日本版もあるのでしょうか?シャンソンは良く聴きました。
2012/10/21(日) 21:33 | URL | 梅津 #-[ 編集]
シャンソン歌手の島本弘子さんがアラゴンの「もしもあなたに逢えずにいたら」を歌っています。http://oshimahakkou.blog44.fc2.com/blog-entry-1192.html
CDも出しています。http://www.ne.jp/asahi/hiroko/shimamoto/index-disk.htm
2012/10/22(月) 00:22 | URL | 管理人 #0EvD.WU.[ 編集]
以前、島本弘子さんが「もしも、貴方に逢えずにいたら」を歌ったときの映像がありましたので、公開させていただきました。
http://oshimahakkou.blog44.fc2.com/blog-entry-1565.html
2012/10/22(月) 22:25 | URL | 管理人 #0EvD.WU.[ 編集]
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