おめざ
清美
父は、東京で
兄と創めた小さな工場をたたみ
姉を連れ、母の里に疎開した。
終戦後、私が生まれ、妹が生まれた。
空襲に怯え、都会の暮らしに馴染めなかった母が、
東京に戻ることを承知しなかったため、
そのまま、田舎暮らしを余儀なくされた。
そして、長野市内の印刷会社で植字工として働いた。
鉛に囲まれた裸電球の町工場
冬になると卒業文集等の受注が多くなるのか、
恒常的な残業が続いた。
遅くなる日は、会社から、お夜食といって、
イチゴジャムや、ピーナツジャムの食パンが、支給された。
帰りの遅い父を待てずに、私たちは寝ていた。
そして、翌朝、枕元におかれたパンを、
私たちは、「おめざ」といって楽しみにして食べた。
そのころ、父は何時に帰り
夕食に何を食べたていたのか、まったく記憶にない。
暗く寒い夜半、千曲川の木橋は、ガタガタと音をたてた。
家路に向かう父は、何を思い自転車をこいだのだろう。
給料は遅配、残業代は削られて、
それでも父は黙って働いた。
この不景気でと、頭を下げる社長に何も言えなかったと。
今は、母も亡く、父も亡く、東京生まれの姉も逝ってしまった。
幼かった殊に尋ねても、何も憶えていまい。
「おめざ」なんとも、懐かしくせつないことば。
<『狼煙』70号>
清美
父は、東京で
兄と創めた小さな工場をたたみ
姉を連れ、母の里に疎開した。
終戦後、私が生まれ、妹が生まれた。
空襲に怯え、都会の暮らしに馴染めなかった母が、
東京に戻ることを承知しなかったため、
そのまま、田舎暮らしを余儀なくされた。
そして、長野市内の印刷会社で植字工として働いた。
鉛に囲まれた裸電球の町工場
冬になると卒業文集等の受注が多くなるのか、
恒常的な残業が続いた。
遅くなる日は、会社から、お夜食といって、
イチゴジャムや、ピーナツジャムの食パンが、支給された。
帰りの遅い父を待てずに、私たちは寝ていた。
そして、翌朝、枕元におかれたパンを、
私たちは、「おめざ」といって楽しみにして食べた。
そのころ、父は何時に帰り
夕食に何を食べたていたのか、まったく記憶にない。
暗く寒い夜半、千曲川の木橋は、ガタガタと音をたてた。
家路に向かう父は、何を思い自転車をこいだのだろう。
給料は遅配、残業代は削られて、
それでも父は黙って働いた。
この不景気でと、頭を下げる社長に何も言えなかったと。
今は、母も亡く、父も亡く、東京生まれの姉も逝ってしまった。
幼かった殊に尋ねても、何も憶えていまい。
「おめざ」なんとも、懐かしくせつないことば。
<『狼煙』70号>
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