秋の千曲川

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信州と私(5)
 秋の千曲川
                          大島博光

 戦争ちゅう、故郷の松代に疎開した。からだを悪くしていたので、毎日のように、千曲川べりでぶらぶらしていた。その頃、釣りをしてみないか、と誘われて、鯉釣りを始めた。すると、たちまち、釣り竿の先をはげしく揺すぶって、大きな鯉がかかった。竿にかかっても、どのようにして上げるものやら、わからない。タモの用意もない。あわてて引きあげようとしたから、たちまち釣針からはずれたのか、糸が切れたのか、逃げられてしまった。これがやみつきとなって、毎日のように鯉釣りに通った。たいていは、松代の西にあたる、俗称ベンケイワクというチンショウのある場所で、このあたりでも有名な釣り場となっていた。岸べには、亭亭と伸びた、みごとなポプラ林があり、北へ遠く伸びている流れと調和して、うつくしい眺めであった。
 きくところによると、このポプラ林は、数年前、建設省かどこかの役人のために、住民の反対にもかかわらず、切られてしまったらしい。ここにも血の通わぬお役所仕事があるように思われる。
 あのポプラ林は、風景のいい、松代市民の憩いの場所であっただけでなく、洪水のおりの護岸の役割を果たしていたのである。つまり、あのポプラ林は、千曲川の流れが、ほとんど直角に向きを変える、直角のところに立って、三、四百メートルつづいていたのだから、洪水が岸をけずりとるのを、その根でふせいでいたのだ。ふせぎきれずに、ポプラの大樹が、根こそぎ、洪水にうち倒されて、根株を無残にむき出していることもあった。・・あのうつくしいポプラ林が伐切された後のベンケイワクは、さぞのっぺらぼうになっていることだろう。毎年、秋になると、釣り竿をかついで、行ってみたいなあ、と思うのだが、──思うばかりか、夢にまで見るのだが、ここ数年、行けずじまいである。
 千曲川の水も汚くなって鯉も少なくなった、という風の便りもある。それにしても、ポプラの木の葉が黄いろく色づいて、それが秋の陽にちらちらと舞いながら清らかな水のうえに散りかかる頃の釣り心地はわすれられない。
  松代から北へくだって、小島田村の地域の寺尾橋の上下も、わたしのよく通った釣り場である。寺尾橋の上の左岸の小川の落ち尻には、やはり柳の巨木があって、格好の日蔭をつくっていた。あの落ち尻は、三尺級の大物が、よく釣れる釣り場だったが、いまはどうなっているだろうか。あそこでわたしが釣りあげた大物は、一貫六百匁位あった。その頃はまだ、こういう度量衡で計っていたのである。鯉が釣れずに、上流から流れてきた、青い皮をつけたままのくるみの実を拾ったことも、なつかしく思い出される。
 (詩人 長野市松代出身)

釣

<「民主長野」1973.10.21>
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