fc2ブログ

ニコラス・ギジェン対談・人間賛歌(下)

ここでは、「ニコラス・ギジェン対談・人間賛歌(下)」 に関する記事を紹介しています。
 一時的なものでない世界人民との連帯

 大島 ギジェンさんは、「詩人としての私にとって最も大きな意味をもっているのは『ソンのモティフ』(一九三〇年刊)です」といっておられますし、〝ソン″という形式を大事になさっていますが、〝ソン″というのは一言でいうとどういうものでしょうか。
 ギジェン 〝ソン″はキューバの一番ポピュラーな踊りの音楽のリズムです。詩を聞いたときに、その踊りと直結していく、つまり、踊りをイメージして、体に訴えて行動をよびさますものです。
 大島 ギジェンさんは俳句にたいへん影響をうけられたと聞いていますが。
 ギジェン 影響をうけたというより、わたし自身俳句をかいてみたいと思っています。でもそれはまだ完成されていません。わたしなどよりも、ファンタグラーダというメキシコの詩人が日本にきて俳句を学んでいます。かれは俳句をつくることに生涯のかなりの部分をそそいだ人です。彼の詩は、スペイン語で書かれた詩のなかで、日本の俳句の精神を一番保ちつづけた詩だと思います。
 大島 あなたは詩をかくとき、どういう点が大切だと思いますか。
 ギジェン 一番重要なのは才能を持つことです。わたし自身のかいたものの中で気にいっているのは一九三〇年から三一年にかいたものです。いまかいているもの──つまりそれ以後四十年後にかいたものを比べてみると似ているものもあるが、芸術的観点からみるとその頃かいたものの方が好きです。
 そして、わたしは詩をかくうえで大切なのは詩的な印象・感興がわいたときにかくということだと考えています。
 大島 ベトナムのホー・チ・ミンをうたった詩がありますね。あれもたいへんいい詩ですね。
 ギジェン わたしのその詩の根本としてホー・チ・ミンの詩をわたし自身が受けいれて書いたということです。非常に短くて、単純な詩ですが、深みをもったいい詩だと自分でも思っています。そのように読んでくださればたいへんうれしいです。
 大島 べトナム人民のたたかいについてどういうふうに思っていらっしゃいますか。
 ギジェン 人間性のためにたたかった人民のたたかいだと思います。
 大島 チリ人民との連帯、団結のたたかいについてはどう考えておられます。
 ギジェン キューバ人民のチリ人民への連帯活動は一時的なものではありません。その根本にあるのは兄弟であるラテン・アメリカ人民への連帯の精神であり、ピノチェット独裁政権へのたたかいを支援するものです。
 大島 日本の詩人たちもこれまでベトナム人民やチリ人民のたたかいをはげます詩をつくって奮闘してきましたが、これからもー層世界の人民のたたかいをはげまし、連帯を強めるために奮闘したいと思います。
 わたしたちはラテン・アメリカを代表する偉大な詩人をむかえて、光栄に思っています。またぜひお会いしたいと願っています。
 〔タイトルのカットはギジェン氏の自筆〕

ギジェン

 余 録           大島博光

 わたしたちはいま、麻布のプリンス・ホテルの一室に、詩人ギジェン夫妻といっしょにテーブルをかこんでいる。新緑の映える庭園には、まだ桜の花が咲き残っている。そしてわたしの前に、丸くずんぐりと肥ったギジェンがいる。彫刻家なら、その顔を彫像にほりたいという衝動に駆られるにちがいない、そんな彫りの深い造型的な顔だ。黒くもない。白くもない。むろん黄色くはない。わたしはムラート(黒白混血)のギジェンを見ている。そうだ、青年時代、人種差別に反対し、アメリカ資本の長靴や鞭とたたかって、母国を追われたギジェンがそこにいる。一九三七年、スペイン人民が国際ファシストどもと血まみれになって戦っていた時、さっそく支援にかけつけ、スペイン戦争の火と煙のなかをくぐり抜けてきたギジェンがそこにいる。一九五一年、ベルリンでひらかれた世界青年平和友好祭で、ナジム・ヒクメット、パブロ・ネルーダとならんで写真に映っていたギジェンが、そこにいる。そして祖国キューバが解放をかちとったとき、

 きのうの文なし太郎のおれが
 きょうはなんでも持ってる
 物もち太郎だ

 と、よろこび歌った詩人がそこにいる。
 ごっつくて、ちょっといかめしいこの顔が、ふと上機嫌になると眼を細め、厚いくちびるでユーモアを飛ばし、無邪気な童顔をほころばせ、底ぬけの善良さ、人間的なあたたかさをそこにのぞかせる。それは、キューバの砂糖キビ畑を吹きぬけてきた風のあたたかさを想わせる。そして、言いたいことは、それを率直簡潔にずばりと言ってのける詩人は、七十六歳になっても、まるで子供のように無邪気であり、なんの飾りけもなく、率直であった。老詩人は、その席で日本キューバ友好協会から贈られたセイコーのデジタル腕時計を、さっそく腕に巻いて、うれしそうに子供のように夢中になって、いくどとなく、その腕時計に眼をやっていた。やがて、つぎのような冗談を言って、わたしたちみんなを笑わせた。
 「わたしが腕時計をしげしげと見るのは、わたしに時間がなくて、あなたがたを急(せ)きたてるためではなくて、いただいたこの時計がたいへん気に入ったからです・・・」

*最後にギジェンの詩を3篇掲載

<『文化評論』1978年6月号>
関連記事
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://oshimahakkou.blog44.fc2.com/tb.php/1539-9371c72c
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック