フイ・カーン「わが胸像を彫る友に」

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 わが胸像を彫る友に
              フイ・カーン
              大島博光訳

胸像は 新鮮な粘土から生まれたところだ
きみは瞬間を捉えて 永遠のものとしたのか
わたしは母親の胎(はら)のなかでかたちづくられた
たくさんの歳月が わたしをこしらえあげた
わたしは生を彫りたいと思った わたしをつくりあげた生を
だれが鋳型(いがた)をつくったのか
輪郭はみごとにかたちづくられたのか
さいわい わたしの粘土は新鮮で柔かい
生の顔かたちはまだ崩れてはいない
わたしはまだ 日日の面相をかたどることができる
おそかれ早かれ わたしは深い土のなかに横たわるだろう
そして骨と化したわたしの顔を 原初(もと)の粘土が塗り替えるだろう
そのときはじめて 友よ わが胸像の鋳型はきまるだろう
きょうまだ 悦びと苦労が わたしの顔に皺を刻んでいる
                    一九七二年

 フイ・カーンは、わたしにとってなつかしいベトナムの詩人である。わたしはおよそ三〇年のむかし、一九六七年、『ベトナム詩集』(飯塚書店)を訳出した。そのなかにフイ・カーンの「タイフォン寺の羅漢たち」という、東洋的なべトナムの苦悶をうたいあげた傑作があった。その作者として、フイ・カーンはわたしには忘れられない、なつかしい詩人となった。
 さいきん、そのフイ・カーンの彿訳詩集が出たので、その一篇をここに訳出してみた。かれも一九一九年生まれであるから、すでに老境にある。この詩にもその老いの想いがにじみでている。
         訳者

<詩誌『橋』1995.9.30>
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