ひとり老人

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随想 ひとり老人
                 大島博光

 ひとはだれでもとしをとる。生きるということには、さまざまな哲学のことばや芸術のことばが与えられるが、生きるということはとしをとることだ。そうしてわたしは八十四歳になった。
 若いころには、自分が老人になるとか、死ぬとか、そういうことをわたしはほとんど考えなかった。わたしの若いころは、あの戦争のさなかだったので、たくさんの友だちや知人が死んだり殺されたりした。それでもわたしには、死の不安や恐怖におびえたという記憶はほとんどない。まるで、死は自分以外のところにあるものだ、と信じこんでいたかのようである。思えばこのようなノンシャランな無頓着さこそが、青春の特権かも知れない。
 無頓着さといえば、生きることについてもわたしはかなり無頓着だった。若いころから結核を病んで、しかも毎晩のように酒に浸って、わたしは喘えぎ喘えぎ生きてきた。長生きしようとも思わなかったが、いつのまにか生き残ってしまった・・・
 七十歳代の終りから八十歳を越えるころになって、わたしは腰痛からくる脚のしびれでのろのろ歩きになった。片手に杖をついて、片手で壁や手すりにつたって歩くようになる。いやでもおうでも、自分も老いぼれになったと考えないわけにはゆかない。そんなとしになって、わたしよりも十歳の余も若かった妻を失って、わたしは悲嘆に暮れ、途方に暮れた。わたしも、世に多い、ひとり老人のひとりになったのである。
 妻の死後、一年半ほどのあいだに書いた、生き残りの泣きごとの詩を集めて、さる二月、わたしは『老いたるオルフェの歌』(宝文館出版)という詩集を出した。

 妻に死なれて あとに残って
 ひとり暮らしは きみひとりでない
 みんな涙を じっとこらえて
 きみのようには 泣きわめかない

 死んだ妻を恋うる歌とあわせて、生き残ったものの苦しみの歌、ひとり老人の孤独の歌がわたしから流れこぼれた。おのれひとりの悲しみに溺れて、そこにのめり込んではならない──そう思いながらも、涙の歌は溢れつづけた。しばしば絶望にとらえられ、くずおれようとするわたしを支えてくれたのは、「ひとりの地平から万人の地平へ」という、フランスの詩人エリュアールの教えだった。これは、やはり愛妻を失った地獄のなかで、エリュアールがみいだした、みごとな一行である。その精神を、わたしはつぎのように書いた。

 忘れるな 大きく生きたまえと
 きみをはげましてくれるものを
 めざして行こう 伝え歩きでも
 あけぼのの方へ いざってでも

 これがわたしの地獄からの出口である。
           (おおしま はっこう/詩人)

ひとり老人

<『月刊民商』1995.6>
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