fc2ブログ

伊藤千代子「信濃なる故里の山に教え子を思い出す日は泣かまく思う」

ここでは、「伊藤千代子「信濃なる故里の山に教え子を思い出す日は泣かまく思う」」 に関する記事を紹介しています。
東栄蔵先生から先日のお礼にと著書「信州の近代文学を探る」(信濃毎日新聞社)がおくられてきました。治安維持法下で弾圧された伊藤千代子の手紙、浅野晃の手記など興味深い資料がのっています。伊藤千代子が亡くなるときの経緯がわかりました。
諏訪の高島小学校の桜を伊藤千代子も眺めたのだろうという最近読んだ文章を思い出しました。歌人の確田のぼるさんが『詩人会議」4月号で、伊藤千代子が高島小学校で代用教員をしていたことにふれて書いています。

・・・土屋文明が諏訪高等女学校時代の教え子、伊藤千代子を悼んで「某日某学園」と題し、

 こころざしつつたふれし少女(おとめ)よ新しき光の中におきて思はむ

 など六首の歌を詠んだことはよく知られているが、伊藤千代子は女学校を卒業後、高島小学校に二年間、代用教員をしていたことがある。日本共産党が創立された一九二二(大正十一)年であった。赤彦が校長だったり、土田耕平が生徒だったりした十年余り後のことである。伊藤千代子に、この高島小学校の教師時代を回想した、

 信濃なる故里の山に教え子を思い出す日は泣かまく思う

 の一首があるのは余り知られていない。
 土田耕平が一九三三(昭和八)年に、やはり高島小学校時代を回想して次のような歌をつくっている。

 むかし見し高島小学校を今見れば木垂(こだ)るさくらも年古りにけり

 このさくらの老木は、官憲の弾圧により二十四歳で命を絶たれた伊藤千代子も見たに違いない・・・
(「歌につながること」『詩人会議』2009年4月)

博光は「こころざしつつたふれし少女たちのバラード」を書いています。
 
水田


関連記事
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://oshimahakkou.blog44.fc2.com/tb.php/153-d9f2d8eb
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック