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『フランス近代詩の方向』もくじ

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『フランス近代詩の方向』(山雅房 昭和十六年三月発行)

<目次>
エスプリ・ヌウボオの道
プレ・ダダイスト
ダダ地方
ダダの終焉とその足跡
シュルレアリスムの四つ角へ
シュルレアリスムの地下道
詩の摂理
影像について
詩人の使命
詩人とその時代
言葉について
霊感について
詩と詩人について
幸福の思想
ロオトレアモン
ラムボオに就いて

<冒頭部分抜粋>
エスプリ・ヌウボオの道
 エスプリ・ヌウボオという言葉も、今日ではもう時間の浸食作用を受けて多少季節はづれに聞える。第一次世界大戦が破壊したモラルの廃墟と、その後の混乱の中に、当時の青年たちが絶望的に放火したエスプリ・ヌウボオは、もはや文学史の中に後退してゐるのだらうか?・・・

プレ・ダダイスト
 サルモン、ジャコブ、アポリネエル等がその幻想的なもの、滑稽なものを豊かに汲みとった涸れざる泉がある──その名はアルフレッド・ジャリイと呼ばれる。このジャリイの泉はジャック・ヴァシエ、マルセル・デュシャンと共にやがてシュウルレアリスムの根を浸してゐる。・・・

ダダ地方
 輝かしきユモリスト、アルフレッド・ジャリイの自転車の輪の跡をたどり、ダダがまだ存在しなかったときに、既にダダであったヴァシエの否定の鴉片パイプを見たわれわれは、二十世紀初頭のもった偉大なスキャンダルの前にゐる──ダダは世界大戦の中に生まれ、その翌日に腕白な少年になった。・・・

ダダの終焉とその足跡
 ガボオ館に開かれたダダ演奏会(フェスティヴァル)はダダイストたちの間に不吉な印象を残した。それは民衆の憤激によるよりも、ダダイストたちが宿命的に辿ってゐた終焉の暗鬱な意識がみんなの間にひろがったからである。・・・

シュルレアリスムの四つ角へ
 ダダの嵐と怒涛のなかを通過したわれわれは、多くの流れの合流点であるシュルレアリスムの四つ角へむかって行く──われわれは、「風を穿いた足」でその四つ角へ通ずる多くの道を夢遊病者のごとくさ迷ひ、その多くの流れを下り、或ひは遡らなければならない。・・・

シュルレアリスムの地下道
 われわれは、何らかの領域においてシュルレアリストであった過去の多くの偉大な名前を列挙したが、──そして列挙することによって「シュルレアリスト」といふ限定づけの意味を暗示したが、それはすべての時代と場所における人間意識──あるひは人間精神の暗い共通性と共同性に与へられた一系列の同名であった。・・・

詩の摂理
 シュルレアリスムの機関誌 La Revolution Surrealiste は一九三〇年までつづけられたが、それは初期の重要な役割りを果した。もしシュルレアリスムが多少の失敗と多少の矛盾にも拘らず、なほ詩に長足の進歩をしるしたと考へるならば、シュルレアリスムが言葉と影像を解放し、詩の領域と形式を開放したといふだけではまだ充分ではない。・・・

影像について
 「シュルレアリスムと呼ばれる悪徳は、驚かせるやうな影像(イマアジュ)を不規則に情熱的に使用することである。あるひはむしろ影像を影像それ自体として何らの制限なしに喚びおこすことである」とかってルイ・アラゴンは「巴里の農夫」のなかに書いている。・・・

詩人の使命
 ノヴァリスは「詩人は牧師であり、牧師は詩人でなければならぬ」と語り、また「詩人は見者であり、預言者でなければならぬ」ラムボオは語っている。これらの言葉はマラルメが次のやうに語った意味においていっさう意味ぶかいのである。・・・

詩人とその時代
 いつの時代でも、社会の大きな動きが現はれると、街頭にたってゐる詩人も、象牙の塔に籠ってゐる詩人も、何らかの態度をとるやうに考へさせられるのである。あるときは、既に詩人がその社会の動きに先駆してゐる場合もあるだらうし、また動きの外に立ってゐる場合もあるだらう。・・・

言葉について
 天の火を盗んだ詩人の精神活動は世界を捉えようとし、ひそかに世界創造を企てるのはいふまでもなく言葉によるのである・・・と私は前に書いたことがある。ここではこの言葉といふものをとほして詩の本質を探ってみよう。・・・

霊感について
 詩人がその精神活動において、一つの対象に形態を与へ、一つの世界を創造する方法、或るひは態度の内部状態を、ここでは霊感と名づけて、霊感についての考察を進めてみよう。したがって、それは人間の詩的能力について問ふことであり、詩人の発声法に触れることである。・・・

詩と詩人について 
 詩人は生の頂点に立ちまた深淵に立ってゐる。そこは他のあらゆる生物の場所と同じやうに何らか出来事の流れのなかにある。ただそこでは外部と内部はあの嫉妬ぶかい国境をはさんで相剋し、やがてはその国境は失はれるだらう。・・・

幸福の思想
 もう久しいあひだ、われわれの世代は幸福の思想を見失ひ、幸福の概念と幸福の状態とその位置とについて殆んど忘却と無関心を示してゐる。さらに幸福への無意識的な願望さへも歪曲され、窒息させられてゐる。・・・

ロオトレアモン
 ロオトレアモンはラムボオと並んで十九世紀の最も反逆的な「恐るべき子供(アンファン・テリブル)」の一人である。詩の状態は保存された少年時代に相通ずるものであり、偉大な詩人とは年老へる子供である。・・・

ラムボオに就いて
 ヴェルレエヌも「地獄の季節」を「神秘的な自叙伝」と言ってゐるやうにラムボオのあらゆる詩、あらゆる散文はメカニイクな告白であり、彼の生活の変形である──といふよりむしろ、ラムボオの行動、思想、感情の延長であり、完成であり、環境やひとびとに対するラムボオの知性と感性とあの不屈な意志とやむにやまれぬ本能との反作用から生れた宿命的所産である。・・・

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