
ロートレアモンと大島博光
シュルレアリスム詩の先駆がロートレアモンとランボーの二人。大島が青春時代に学んだロートレアモンは現在、世の中が複雑化するにつれて見直されている。日本では知る人は少ないがフランスではシュールレアリスムの元祖として多くの作家、画家、詩人に影響を及ぼしている。ポール・エリュアール、ルイ・アラゴンはコミュニストに、フィリップ・スーポーやアンドレ・ブルトンは芸術至上主義への道をたどった。博光はロートレアモンの『マルドロールの歌』を連続して翻訳している。その後、断片的にシュールレアリストたちを紹介している。ポール・エリエアールとの書物上での出会いも戦前のことである。こうしたエッセイをまとめた単行本が昭和15年に出版された。『フランス近代詩の方向』(山雅房刊)であった。
一九七一年、私が『ロートレアモン覚書」を出版した時、博光から「万感を胸に、これから拝読します。あの深夜のパリの街で走り行く馬車を必死に呼び止める子供のように」という葉書がきた。

大島さんとの出会い
高校生の時、博光に会いに桐原の家の前に行ったが、怖くてどうしても入れなかった。
松本で記者をしていた頃、塩尻市に吉江喬松の生家を訪ねた。島崎藤村の友人で、早稲田に私立大学としては初めての仏文科を作ったフランス文学者である。昭和40年代の初めであった。生家には貞子夫人が健在で、弟子たちが松本市の城山公園に蝸牛の詩碑をつくってくれたことなどを感慨深げに話してくれた。教え子には仏文学者の新庄嘉章、同じく佐藤輝夫、詩人西条八十、八木義徳、中村八朗らがいた。吉江喬松の一番弟子が西条八十、その一番弟子が大島博光になる。
いつか機会があったら吉江さんの生涯をテレビで描こうと思っていた。やがてその機会が巡って来た。「信州人物風土記」を企画・製作することになり、松井須磨子、島崎藤村、中山晋平ら36人を取上げ、念願の吉江喬松を構成するに当たっては、西条八十の愛弟子、大島博光、西条ふたばこの両氏にインタビューすることになった。これは昭和61年の事である。(「信州人物風土記 吉江喬松」の西条ふたばこと博光のインタビュー部分を上映)


大島の育った風土(松代落とフランス)
松代出身の軍人は海軍が多い。明治の初め、松代には兵制士官学校があり、函館に五稜郭を造った武田斐三郎が先生になってフランス語を教えていた、日本の本格的フランス語辞典は藩医村上英俊が初めて編纂した。佐久間象山が読んだショメルの百科辞典の原作者はショメルというフランスの神父であった。(オランダ語に訳された本)伊東義五郎海軍中将の夫人はフランス人。その娘は本野家に嫁ぎ、子息はフランス大使を経て現日仏会館名誉会長。

戦後、大島はアラゴンの『フランスの起床ラッパ』で有名になったが、19世紀末のパリ・コンミュンと第2次世界大戦中のフランス詩人の抵抗詩運動の著述では右に出る者はいないだろう。

取材に見えた「うたごえ新聞」の三輪さんと
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