アラゴン「廿年後」

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 廿年後
                     ルイ・アラゴン

時代はまた 味気ない単調な輸送をはじめ
のろのろとした赤毛の 牡牛たちを車につなげた
いまは秋だ 空は金箔のなかに穴をうがち
十月は検電器のように顛えながら まどろんでいる

おれたちは カロリンガ時代(1)の 臆病な王たちだ
おれたちの夢は 牝牛のやわらかな足跡を辿るのだ
野の果てで ひとが死んでゆくのも知らぬげに
何が明け方に起きるのか 夕ぐれには分らぬのだ

人影もない空家をぬって おれたちはさまよう
鎖もつけず白衣もなく ものも想わず声もなく
まるで ま昼の化け物だ 昼ひなかの亡霊だ
恋をささやいていた 娑婆からやってきた幽霊だ

おれたちはまた廿年後に 忘れていた物置部屋から
おれたちの古服をとり出し 千のラチュド(2)たちが
独房の中で またも昔の仕ぐさを始めるのだ
そんなことは彼らには ものの数ではないらしい

またぞろ きまり文句のご時世が 始まるのだ
人間がついに誇りを捨てて そのくちびるに
でれでれと並べる歌は もうラジオのおかげで
うんざりするほど聞き飽きた 阿呆な歌だ

廿年といえば 赤ん坊も若者になる歳月だ
あの頃のちびたち あどけなかった子供たちが
廿年後 おれたちといっしょに戦争へ出てゆくとは
年寄りたちにとっては なんともつらいことだろう

廿年後(3)とは 皮肉な題名だ おれたちの人生が
そのなかに すっぽりと書きこまれてしまう
だが 親父(おやじ)のデュマの この嘲笑にみちた言葉から
想いは逸(そ)れるのだ きみの愛した女の影とともに

愛するひとはただひとり とても美しい優しいひと
かの女だけが 焦茶色の十月のように浮びあがる
かの女だけが おれの恋びと おれの苦しみと希望なのだ
かの女の手紙を待ちながら おれは日を数えるのだ

おまえはおれの人生の 熟れた半分だけを味わった
おお妻よ 思い返えす歳月は ちびちびと惜しげに
数えてみても おれたちには しあわせだった
みんながおれたちの噂をして あの二人と言ったものだ

あの悪(わる)だった若者(4)には おまえはかかわりないのだ
あの若者はとっくの昔に ひとつの染(し)みのように
海べの砂に書かれた文字のように 消えているのだ
あの若者の暗闇や あの虚無をおまえは知らなかった

雲が空で変わるように ひとりの男が変わる
おまえは優しく撫でてくれた おれの顔の上を
物思わしげな影をたたえた おれの額のうえを
灰色になった髪のあたりに たわむれながら

愛するものよ このもの悲しい夕ぐれのひととき
おれのこころには ただおまえだけがあって
愛するものよ おれの詩の流れも 人生の流れも
よろこびも 声も みんな一度に消え失せてしまう
おれはもう一度 おまえを愛すると言いたかったのだ
だがこの言葉も おまえなしで言えば心痛むのだ

(1)カロリンガ時代──八世紀中葉から十世紀末までフランスに君臨した王朝。シャルルマーニュ王を始祖とするが、代々怯惰の王が多い。
(2)ラチュド──(一五九〇〜一六五三)ポムパドゥール夫人にたいする陰謀のかどで、バスティーユ、グアンサンヌなどの牢に投獄されるが、数回にわたって脱獄する。
(3)廿年後──アレクサンドル・デュマ・ペールの小説「廿年後」をここでは指している。アラゴンは一九一九年の第一大戦に動員され、また廿年後の、一九三九年の第二大戦にも動員された。
(4)悪だった若者──ダダイスト、シュルレアリストであった頃のアラゴンじしんを指している。

 一九三九年九月、戦争の勃発とともに、フランス共産党は解散に追い込まれる。当時アラゴンの編集していた「ス・ソワール」紙が発行禁止になる。アラゴンはエルザと別れて、クルイ・シュル・ウルクの第二二〇部隊に入隊する。一九三九年十月に書かれた三篇の詩『廿年後』『夕ぐれにおまえの手紙を待つ』『クロス・ワードの時代』は「わが心臓の鼓動のひとつひとつ」をエルザにささげた、愛の詩である。十二月には、『引き裂かれた恋びとたち』が書かれる。

<『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』──断腸詩集>
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