アラゴン詩集『詩人たち』──エピローグ

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エピローグ
             アラゴン


わたしは生と死のあわいにいる 眼を伏せて 手には何ひとつない
そうして潮騒のきこえてくる海は 溺れた者たちを二度と返えさない
そしてわたしのなきあと わたしの魂(こころ)はまき散らされ 
わたしの砕かれた夢は競売(せり)にかけられよう
みたまえ わたしのことばはもう 
わたしの湿ったくちびるで 木の葉のように乾く 

腕をひろくひらいて わたしはこの詩を書こう 激しく脈うつわたしの心臓がきこえるように
もう死んでもかまわない わたしは歌おう おのれの咽喉と声を越えて おのれの息と歌を越えて
わたしは草刈りに夢中な草刈り人だ おのれの人生や畑を荒らし放題だ
息を切らしながら時をつぶし やみくもに鎌を振りおろし振りまわす
わたしはわたしの詩句に あのキリスト磔刑の図の大きさを与えることにした
そうして気まぐれにどこででも 区切りのあいくちがわたしに落ちてくるように
とどのつまり わたしの桁(けた)外れという桁に わたしは到達しなければならない
現実の丈にあわせて わたしの作り話のマントを作るために

この世は ありとあらゆる風の吹きぬける 大きな陰気な城にも似ていよう 
吹きぬける風に扉は鳴るが どの部屋も閉まりはしない
そこに 名もない疲れた哀れな人々が坐っている なぜかある者たちは武装している
掘には草が伸びてしまって もう城の堕(おとし)格子をおろすこともできない
 
とにかく古参だろうと新参だろうとわれわれには この住まいは住み心地がよくない
どうしてここに連れて来られたのか きっとだれにもわからない
あるものは寒さに震え あるものは腹ぺこで 大方は身を噛む秘密をもつ
ときどき得体の知れない王公が通りすぎると その前にみんなが膝まずいた

わたしの若かったころ いまにも天使たちが勝利するだろうという話だった
ああ それをわたしはどんなに信じたことか どんなに そうしていまやわたしは老いぼれた
若者たちの時間は 彼らにはいつも眼のなかに落ちてくるほつれ毛のようだ
だが 老人たちにとって風向きが変わるには 残った時間はあまりに重くあまりに短かすぎる

老人たちは考える この世の重要な問題について 身を捧げるに足るものについて
彼らはいまは放棄してるが あの巨大な建設現場を走りまわって作りあげた僅かばかりの成果をその眼に見る
口に咬えた餌もの(獲物)を落して見とれた影* おお 貧しいひとびとよ 未来はだれのものでもない
街なかで遊んでいる子どもたちよ わたしは どれほどきみらに憐れみを抱くことか
きみらの前途にあるすべてをわたしは見る 不幸を 血を 失意落胆を
われわれの描いた夢や われわれのつまずいたことは 何ひとつきみらにはわからないだろう
われわれは きみらの役には何ひとつ立たなかったろうが こんどはきみらが骨を折る番だ
わたしには 肩を落とすきみらが見える きみらの額の 古いしきたりの皺が見える

きっときみらはわたしに言うだろう いつも そんなものだと 
だがまさしく 思ってもみたまえ 苦境のなかでそれを変えようと 
おのれの生ける指 生身の手を じっと見つめる人びとを 
また思ってもみたまえ おのれの入ってる檻について議論もしない人びとを
ひとには絶望の権利がある ちょっと立ちどまる権利があるとでもいうのか 

そうしてきみらのうえに途方もない勝利の太陽の輝くような日がやってくる
思い出してもみたまえ われわれもそれをよく知っている ある人びとが
奴隷の旗をもぎとろうと アクロポリスに駈け登ったことを そうして打ち倒されたことを
その人たちとその栄光は いまもなお歴史の共同墓地に喘いでいる

思ってもみたまえ 闘争はけっして止むことがない 三度ぐらい勝ってもなんにもならない
そうして人間は人間にたいして責任がある以上 ふたたびすべてが問題となる
というのも どれが悪で どれが善か 見わけるのはいつも容易ではないからだ

いましがたわれわれの通った道をきみらも通ってゆくだろう 
開いた本を読むようにわたしはきみらを読みとる
きみらの心臓の脈うつのがまるでわたしの胸で脈うってる心臓のように聞こえる
きみらの心臓も擦り切れるだろう わたしはよく知っている 
きみらの胸のそのものが どのように衰え黙りこむのかを
どのようにして秋は色褪せ 冬のバラのまわりには沈黙がやってくるのか

このことをわたしは勇気をくじくために言うのではない 虚無にうち勝つためには 
虚無を面と向って見つめねばならぬ 歌は傾き弱まるときにも美しい
さらに歌が こだまとなって丘のうえによみがえるのを聞きとらねばならぬ
この世界で 歌うのはわれわれだけではない ドラマは いろんな歌による合唱なのだ

ドラマでは おのれの役割を果すすべを知らねばならぬ ひとつの声が黙りこんでも
奥深い合唱はいつも途切れた歌をふたたび歌いはじめることを知りたまえ
歌い手は おのれの力のかぎり できるかぎりをつくしたのだから
道なかばで きみらがわたしを ひとつの假説のように棄てさろうと かまわない

わたしはきみらにわたしの番をゆずろう 最後に立ち上った踊り手のように
たとえ彼の暗い内部にあるものが すでに彼の眼のなかに現われていようと 彼を責めないでくれたまえ
このほの暗い光のほかには わたしがきみらにおくる贈り物はないのだ
明日の人びとよ 炭火を吹き起こしてくれたまえ きみたちにこそわたしは見たことを語るのだから

<自筆原稿>

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