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夕映えのオレンジ色の雲──軽井沢日記(昭和19年)

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 八月十二日  沓掛にて
 眼に見えざるものと語るために,宛名のない手紙でも書くよりしかたのないやうな時間が、流れるといふより、むしろ私を包んで漂ってゐる・・・私は私の内部で声なく語りかける・・・ 見えざる私の対話者も 私の中にゐる・・・
 私は私にだけ見え、親しい一つの姿、微笑み、──現前に向って語りかけるのだ・・・あらゆる対話も通信も一つの措定のうへに成立つのだ。それは、措定されたもう一つの自己に語ることである・・・ それは夜と昼とがわかち難く交錯してゐる黄昏の顫へる薄明を想はせる・・・
 夕映えのオレンジ色の雲を浮かべた空には──もうどこか秋の色が漂ひそめてゐる──無数の燕が群れて、優雅な線を描いては舞ひ翔んでゐる。恐らく、南へ再び飛び去りゆく、その訣別の円舞を踊ってゐるのであらう。巣立ったばかりの若い燕は飛翔の訓練をしてゐるのにちがいない。彼らもまた、夏の終わりを告げてゐるのだ・・・
 さういへば、今朝、落葉松林の散歩道で、そんな若い燕の一羽が斃れてゐた。空高く翔(か)けた翼は痛々しく傷んでゐて、チチと啼いた嘴はかたく閉ぢてゐた。ほかの燕たちが、南へ飛びさりゆくのに、彼女のみここに斃れて、もう海を見ることもなく、朽ち果てるのだ。私はそっと野菊の草むらの中に葬むってやった。・・・さうだ、雉子の羽根や燕の屍が、──こんなはかないものたちが、何故か私の脳裡から離れず、まるで私の内側に落ちたままとどまってゐる。さうして、私の中で、何か未知を揺り覚してくれるやうな、そんな予感を与へる・・・
<ノート戦前-S19>
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