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ロルカ虐殺40周年に

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ロルカ虐殺

生者たちよりも生きている  F・G・ロルカ虐殺40周年に

                 大島博光

 スペインの詩人フェデリコ・ガルシーア・ロルカの名は、魅惑にみちた「ジプシーの歌」や戯曲「血の婚礼」などによって、わが国でもよく知られている。そのロルカが、フランコ・ファシストどもの手に倒れてから、この十九日で、ちょうど四十年になった。

 ファシストの黒い出発
 一九三六年七月十六日、ちょうどフランコの反乱が始まる二日前、ロルカはマドリードを出発して、例年の旅行に出かけ、最後に生まれ故郷のグラナダに立ち寄った。グラナダの町では、ファシストの勢力が強く、かれらは進歩的な人びとを捕らえるために、いち早く「黒組」を組織していた。ロルカはこの罠(わな)におちて捕らえられ、一九三六年八月十九日の未明、グラナダ郊外のオリーブの木かげで銃殺された。アントニオ・マチャードは詩に書いている。

 かれは銃にかこまれ
 長い道をとぼとぼ歩き
 まだ星の残っている朝まだき
 寒い野っ原に姿を現わした
 ・・・
 フェデリコは 倒れ 死んだ
 額から血を流し 腹に鉛をぶち込まれて──
 犯罪はグラナダで行われた・・・

 フランコ・ファシストはその黒い出発にあたって、いち早くロルカを血祭りにあげた。「アンダルシーアの鶯」は歌うことをやめた。ファシストがロルカを最初の犠牲(いけにえ)に選んだのは偶然ではなかった。当時のスペインの文学状況をちょっとふりかえってみよう。

 スペインの文学の復興期
 一九三一年四月十二日の選挙において、スペインの左翼連合が勝利を博し、四月十四日、勝利を祝う民衆がマドリードの街頭を埋めた。アルフォンス十三世はついに王位を放棄し、ここに血を流すことなしに、スペイン共和国が生まれた。これにつづく数年は、スペイン文化、とりわけスペイン文学にとって、輝かしい開花の季節となった。ウナムノやマチャドの大家たち、あるいはファン・ラモン・ヒメネスのあとにつづいて、一群の若い詩人たちが登場してきた。ガルシーア・ロルカ、ペドロ・サリナ、ホルヘ・ギジェン、ラファエル・アルベルティ、ホセ・ベルガミン、ルイス・セルヌーダ、マヌエル・アルトラギーレ、ミゲル・エルナンデス等々である。
 ロルカとその仲間たちの詩運動は、今世紀初頭におけるスペイン文学のルネッサンスをうけつぎ、また人民の勝利にはげまされて、たくましい創造力にみちあふれていた。このグループは創造のためには互いに寛大さを発揮し,深い友情によって結ばれていた。なかでもロルカは、もっとも天賦の才にめぐまれ、みんなを愛し、みんなに愛されていた。かれの創作態度は、人民との交流を大事にし、思想的にも感情的にも人民ととけあうことにあった。こうしてかれはスペインの魂を再発見し、スペインの色をもう一度、白日のもとにとり出そうとした。ロルカが巡回劇団「バラカ」を創立したのも、この精神においてであった。かれは、共和国時代の多くの学生をこの運動に参加させ、村むらをまわって、古いスペイン音楽を掘り起こし、古い芝居を上演した。
 しかし、開花を始めたばかりのこの新しいスペイン文学のルネッサンスは、ファシストのクーデターによって、突如として断ち切られ、壊滅させられたのだった。ロルカは銃殺され、多くの詩人・作家が殺され、あるいは国外に亡命した。ミゲル・デ・ウナムノはサラマンクの家で監視され、「インテリなんかくたばれ!」というファシストの罵詈(ばり)と暴行を浴びたのちに死んだ。いち早くロルカの死を悼んだマチャドは、ピレネーを越えて、フランス領コリウールまでたどり着いたが、そこで倒れ、そこの葬られた。人民戦線軍戦兵士として戦った、詩人ミゲル・エルナンデスは、ポルトガル国境でフランコ軍にとらえられ、オカニヤの牢獄で死んだ。そうしてフランコ・ファシスト軍との戦いで、百万人のスペイン人が死んだといわれる。

 自由求める人民の叫び
 ロルカの死は、これら数限りない死者の象徴として、多くの詩人たちによって歌われている。

 いちばん堅固な建物だったきみがぶち壊された
 いちばん高く飛んでいた鷹が討ち落とされた
 いちばん大きく鳴り響いていた声が 黙りこんだ
 あとには ただ沈黙 永遠の沈黙がつづく
 ・・・
 きみの断末魔の苦しみは
 鉄の責め具のように おれののどを締めつける
 おれは 死に酒をなめる想いだ
 フェデリコ・ガルシーア・ロルカよ
 きみは知っている
 おれが毎日 死と額をつきあわせている連中のひとりだということを

 これはエルナンデスの長い詩の一節だが、ここには一兵士として戦った詩人の切実さがにじみ出ている。
 報道によれば、ロルカの四十年忌を迎えて、スペインでは記念集会がひらかれたが、官憲によって中止を命じられたという。ロルカは死んだが、「生者たちよりも生きている」(セルヌーダ)のだ。そしてロルカの思い出にみちて、自由と民主化を要求するスペイン人民の叫びは、いかなる弾圧によってもおしつぶされないだろう。
 (おおしま ひろみつ 詩人)

<「赤旗」1976.8.20>

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