
軍事政権により1995年に殺されたケン・サロ=ウィワ著の『ナイジェリアの獄中から』が日本語訳で出版されていました。彼の作家としての特質を友人で作家のボイドが序文に書いています。
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ケンは出版人だったばかりでなく、雑貨輸入を手がけるビジネスマンでもあった。さらに、著名な政治ジャーナリストであり、その歯に衣着せぬ辛辣な批判姿勢には定評があった。そして、やがて私が知ることになるように、小説、演劇、詩、児童文学などの多方面にわたる著作を生み出す多作な作家であり、そのほとんどを自分の出版社から刊行している出版人でもある。ケン・サロ=ウィワは作家としてめざましい成功を収めてもいる。ケン・サロ=ウィワ作およびプロデュースのテレビドラマ『バシとその仲間たち』は、一九八〇年代中ごろナイジェリアでもっとも人気を博したもので、一五〇回を数える長寿番組となった。アフリカでもっとも視聴率の高かったソープオペラで、三〇〇〇万人もの人々がテレビのまえにかじりついたと言われている。バシとその友人たちは首都レゴスの下町の気の小さいチンピラで、金もなくぶらぶらしているくせに、いつもバカげた儲け話に夢中になっている。観客を笑わせ、人物描写は辛辣でありながら、と同時にあからさまなほど教育的なドラマである。バシたちの欠点はそのままナイジェリアの欠点でもある。つまり、だれもがきちんと働いて自分の暮らしを支えることがいやで、世間に食べさせてもらって当然と考えている。正しいやり方でやっても生活できないのだから、きたない手を使ってもいっこうにかまわない。そういう意味で、このテレビドラマはソープオペラの形を借りた国民教育劇なのだ。
ケンはおどろくほど多彩な書き手で、作品はあらゆるジャンルにわたっている。最初の小説『ソザボーイ』は一番の傑作だと私は思う。「崩れた英語で書かれた小説」という副題のついたこの作品では、かつての英領西アフリカのリンガ・フランカであるピジン英語が駆使されているかと思えば、そこここに見られる言い回しはびっくりするほど典雅で抒情豊かな英語である。この言語こそが強固な民衆文芸の世界を作り上げている。それは植民地支配者の言語である英語の良質のハイジャックであり、それゆえ語られる物語にもっともふさわしい言語となっている。ナイジェリアの内乱のさなか、何もわからない村の少年がただ誘われるままビアフラ軍に加わっていく物語である。主人公の少年はソザ兵士(ソザは「ソルジャー」の訛)になることにあこがれていた。だが、このナイジェリアの内戦の過酷な現実を目の当たりにして喪失と幻滅を感じる。それは少年の精神を幻惑し、分裂させてやまない深い絶望である。こうした意味で、『ソザボーイ』はただたんにすぐれたアフリカ文学の作品というばかりなく、反戦小説の傑作でもある。二〇世紀屈指の傑作だと断言していい。
ケンの倫理的潔癖さは、とりわけ彼の筆になる痛烈な政治批判を読めばわかる(彼は長年にわたって『パンチ』、『ヴアンガード』、『デイリー・タイムズ』といったレゴスの日刊紙にコラムを書いていた)。その大半はまるでスウィフトばりの非難をナイジェリアの生活全般に見られる根絶しがたい悪弊にぶつけたものである。民族間の対立、少数民族の基本的人権の無視、社会に蔓延する物質至上主義、国民に奉仕することなど考えもせず、ひたすら賄賂を要求する役人たち。『バシとその仲間たち』とはべつの意味で、こうしたジャーナリスティックな文章によってケンはナイジェリア国民大衆の尊敬を集めていた。
(『ナイジェリアの獄中から』─「序文─作家ケン・サロ=ウィワの死を悼む」ウイリアム・ボイド)
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