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ピカソの『抱擁』について

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ピカソの『抱擁』について
                 アラゴン
                 大島博光訳

一九〇五年 パブロ・ピカソは いくつだったろう
廿三か 廿四で
      青春のさなかだった
だが 人生の秋ともなれば 誰が知ろう
あの頃は 溢れるばかりの輝く若さだけでこと足りた
抱きあった恋びとたちの部屋には
ベッドのほか 何んにも要らぬのだ

それから十二年後だ わたしが
ブールバール・サン・ジェルマン街二〇二番地の
ギョーム・アポリネールの家に行ったのは
奥の方で ラ・ベルタの咳こむ声が聞こえた

いまではすべてが 他言するな と言っているみたいだ
階段をのぼってゆくわたしの上で
何階ものアパートの階層が ぐるぐる廻った
それは あのロビンソンの樹にも似ていた
扉の隠し窓のなかには
     片目が光っている そうして
地平線をまとった大きな鳥のような詩人は
素足で かれの巣の高みにわたしを通してくれた
眼のまえに「魔法使い」がいる
「七つの剣は どこにあるのだろう」

「クロロフォルムの匂いの中 傷ついた頭に
         開孔手術をうけて」
わたしはもう どんな言葉も何もおぼえていない
わたしの中であの若者の心臓が顫えていたというほかは
わたしは 薄い ちょびひげを生やし    
何んにでも心よい羽音をたてて飛びつく廿(はたち)だった
陽脚(ひあし)が 鎧戸のわなにひっかかっていた
わたしの中で 詩の猫がごろごろと言っていた

「おれはつぶやいていたんだ ギョーム きみがやって
       くる頃ではないかなぁ」

と彼はわたしに言ったが 何を言おうとしたのだろう
そして何か言いわけを言いながら 案内してくれた
幾枚かのピカソの絵が 階段下の戸棚の中にあり
ただ一枚
  アポリネールの指さした壁の画の中で
愛がいとなまれている
ほかのすべてのもののかたわらで
おお くちづけ 永遠のくちづけよ
夜も昼も 昼も夜も 時計の停ったこの長い時
唇を唇におしあて 一つに溶けあった息吹き
「真に迫った描写」の下に息ずく生命
だがベッドは 画面に定着された瞬間ほどには真に迫らず
ながながく続く抱擁にとっては 冗漫にすぎぬ

茫大な人生は いつも映画めいている
ピアノの小曲が鳴りだすと
みんな黙りこんでしまう
すべての眼で観衆は きまり文句に耳傾ける
そして「彼女はすばらしい」と言うための あの指の花束

われわれはまだ 唖の時代にいるのではないか
半世紀後も おんなじ音楽
辻公園のベンチの上に 街角に
家家の暗い内部に
     おんなじ沈獣
かれら二人だけが 飽きることなく抱きあい
腕で締めい 腕でからみあって 身を顫わせている
一九〇五年の恋びとたち
  そのよろこびよ 永遠たれ

 訳註 ピカソが一九〇五年にアポリネールに贈った絵『抱擁』が、一九六八年六月に売りに出された。その機に、一九六八年六月一二日号の「レットル・フランセーズ」紙は、その一面にこの絵を掲載し、それについて書いたこのアラゴンの詩をかかげた。

<『詩人会議』1973.7>
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