いまは叫ぶことが大事だ

ここでは、「いまは叫ぶことが大事だ」 に関する記事を紹介しています。
 いまは叫ぶことが大事だ
                 大島博光

君はいう 詩はことばで築きあげられるものだ
ぎりぎりの体験をそれにふさわしい言葉でうたうものだ
日本の詩は日本語の花だったと
そうだそのとおりだそれはりっぱな言葉だ

君はいう 原爆時代の人間のありようを追求し
悲惨や荒廃を訴えたりするような詩作品では
表現の言葉などに心をくばってはいられない
内容だけで詩になると考えられているようだと

こんどは そうだそのとおりだとぼくには言えぬ
傷つき倒れ死ぬかも知れぬものを目に見ながら
ひとは医者のこころえをもたぬからといって
手もくださず 叫びもあげずにいるだろうか

そこでひとは のどからほとばしりでる声で
叫んだのだ 人びとを呼びみんなの手と心で
死ぬかも知れぬものを生きかえらせようと
叫んだのだ それが詩となるかどうかも知らずに

しかも 医者の心得をもつものが必ずしも
死ぬかも知れぬものの傷ぐちの深さをはかり
以前にもまして元気なものによみがえらせ
生きる道への希望を示してくれるとは限らぬのだ

むろんぼくも叫びさえすればよいとは思わぬ
うつくしい叫びこそひとびとのこころにひびき
そのとも鳴りを呼ぶほどに歌われねばならぬ
春をよぶ歌はひばりの声でうたわれるのがよい

友よ忘れるまい ぼくらはいまどこにいるのか
ほんとうに誰が日本と日本語をうらぎり
ふたたびぼくらの愛するもの美しいものを
ぼくらの手からもぎとろうとしているのか

友よ忘れるまい みんなの叫びから逃げかくれて
羽田をとびたっていった不吉なからすどもを
そうして彼らが太平洋の向う岸のわしどもに
何を売りわたす証文を書き書かされてきたかを

みんながもうヒロシマはいやだと叫んでいるのに
殺しやを救い手といいどろぼうを友人だといって
かれらの原爆水爆をぼくらの畑にかつぎこませ
再びぼくらの血と涙をしぼろうとするやからを

友よ そのとき死ぬかも知れぬものはなんと
きみの娘たちであり ぼくの息子たちであり
ぼくらを育ててくれた美しい千曲の岸べであり
きみの愛する日本語でありぼくらの祖国なのだ

そのとき いったい責められるべきは誰だろうか
声もあげず叫ぼうともしなかったものだろうか
それとも かすれた声で叫んだものだろうか
そのとき 詩のための詩は誰に役立つだろうか

友よ君も知るように ぼくもきのうは歌っていた
白夜のうたや 雨だれや 絶望や さまよいを
ひび割れた鏡や そよ風や 暗い孤独のうたを
ぼくも毛虫が蝶になるということを知らなかった

詩人は書斎で言葉をみがくだけではまだ足りぬ
蝶のうたをうたうには身と心を変えねばならぬ
ひとびとの生活のなか泉のなか深くはいって
闘いのひびきと生きた声をききとらねばならぬ

なぜなら詩人もまたひとびとの中のひとりであり
みんなとおなじ苦しみをなめおなじ不幸をもち
みんなとおなじ花やよろこびを愛するからだ
詩人はみんなのしあわせのためにこそ歌うものだ

友よ ぼくは君のむかしの友情をいまも感謝している
君は裏山のあさつきを掘ってたべさせてくれた
そうして共にべートーベンの第九にきき入ったが
ぼくはいつか君と新しい歓喜の合唱をききたいのだ

(『詩学』一九五〇年四月号、『大島博光全詩集』)
*『長野県年刊詩集』(長野県詩人協会 1960年)には「竜野咲人さんへ」という副題がついて収録されている。

関連記事
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://oshimahakkou.blog44.fc2.com/tb.php/1441-0d7475d6
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック