『松代電車』
久保田 衛
昨年『阪急電車』という本が有名になった。車中の会話が面白く、若者たちの人間模様がリアルに描かれている。それが映画化されたと聞く。そこで、近く廃線が決まった長野電鉄の河東線に乗ってみた。屋代駅から数人の女子高校生と病院帰りらしい老婆、大きなカメラを持った取材記者風の男が乗っていた。「小鳥電車」という名があるようにこの日も「シジュウカラ」「カンコ鳥」であった。
次にふたりの孫を連れて松代から須坂へ乗った。同じように孫を連れた老婦人、子供連れのお母さん、携帯を楽しんでいる数人の男女が乗っていた。これも何事もなく阪急電車にはならなかった。
松代に、私が通う喫茶店がある。駅名は『象庵』、この駅で最近、石坂さんという老人に会った。彼は玄関の横にある喫煙席で、忙しそうにパンを食べコーヒーを飲み、愛煙家らしくうまそうにセブンスターを続けて三本を吸って帰った。うらやましい健啖ぶりであった。しかも、若いころ車のセールスをしていたと言うだけあって、3ナンバーの車を上手に操って行った。
今日も石坂さんは、喫煙席にいた。日曜日は観光客が多く、途切れることのない人の流れを『車窓の景色』を見るように楽しんでいた。私も同席した。
目の前の象山の緑が眩しく光っていた。「この緑が良いね。」「緑が美味しいね。」同じことを言い合って山の風光を味わった。突然、娘たちの一団が「目の前の小川の流れる風情ある城下町の道を自転車に乗りながらハスキーな声を発していった。石坂さんは、膝を叩きながら「はちきれる若さが良いね。」と嬉しそうに私を見た。「こちらまで若くなりますね。」と私も賛成する。石坂さんはタバコを吹かしながら言った。
「娘たちの自転車姿って浮き浮きするな。」「絵になります」と私。
また、前を行く観光客の列を見ながら「自然はたいしたものだね。男半分、女半分とよく造ったもんだ。」と言う石坂さんに、私が「こうして見ていると、老人が多いですね。老人ばかりで日本もおかしくなりますね。」と振ってみた。石坂さんは、「そうだ、このごろ男が元気ねーからな。昔は車も二・三年で乗り換えたもんだが、今の若い奴は、車もいらねーなんて言う奴もいる。これじゃー子どもが出来ないというもんだ。」
そんな話をしていると、向こうから大きなオナカを抱えた婦人が歩いて来た。初夏の陽光を背に歩いて来た。胸・腹・太ももがはちきれそうで、命のエネルギーが伝わってきた。神々しい姿で、武家屋敷の周りを圧していた。
石坂さんは私の左手を叩きながら、「良いねー」と唸った。
私は驚いて石坂さんの顔を見た。目は輝いたままずっと婦人の後を追っていた。
私は、聞きたかった。
「本当に八十八歳なんですか。」
(『狼煙』67号 2011年9月)
久保田 衛
昨年『阪急電車』という本が有名になった。車中の会話が面白く、若者たちの人間模様がリアルに描かれている。それが映画化されたと聞く。そこで、近く廃線が決まった長野電鉄の河東線に乗ってみた。屋代駅から数人の女子高校生と病院帰りらしい老婆、大きなカメラを持った取材記者風の男が乗っていた。「小鳥電車」という名があるようにこの日も「シジュウカラ」「カンコ鳥」であった。
次にふたりの孫を連れて松代から須坂へ乗った。同じように孫を連れた老婦人、子供連れのお母さん、携帯を楽しんでいる数人の男女が乗っていた。これも何事もなく阪急電車にはならなかった。
松代に、私が通う喫茶店がある。駅名は『象庵』、この駅で最近、石坂さんという老人に会った。彼は玄関の横にある喫煙席で、忙しそうにパンを食べコーヒーを飲み、愛煙家らしくうまそうにセブンスターを続けて三本を吸って帰った。うらやましい健啖ぶりであった。しかも、若いころ車のセールスをしていたと言うだけあって、3ナンバーの車を上手に操って行った。
今日も石坂さんは、喫煙席にいた。日曜日は観光客が多く、途切れることのない人の流れを『車窓の景色』を見るように楽しんでいた。私も同席した。
目の前の象山の緑が眩しく光っていた。「この緑が良いね。」「緑が美味しいね。」同じことを言い合って山の風光を味わった。突然、娘たちの一団が「目の前の小川の流れる風情ある城下町の道を自転車に乗りながらハスキーな声を発していった。石坂さんは、膝を叩きながら「はちきれる若さが良いね。」と嬉しそうに私を見た。「こちらまで若くなりますね。」と私も賛成する。石坂さんはタバコを吹かしながら言った。
「娘たちの自転車姿って浮き浮きするな。」「絵になります」と私。
また、前を行く観光客の列を見ながら「自然はたいしたものだね。男半分、女半分とよく造ったもんだ。」と言う石坂さんに、私が「こうして見ていると、老人が多いですね。老人ばかりで日本もおかしくなりますね。」と振ってみた。石坂さんは、「そうだ、このごろ男が元気ねーからな。昔は車も二・三年で乗り換えたもんだが、今の若い奴は、車もいらねーなんて言う奴もいる。これじゃー子どもが出来ないというもんだ。」
そんな話をしていると、向こうから大きなオナカを抱えた婦人が歩いて来た。初夏の陽光を背に歩いて来た。胸・腹・太ももがはちきれそうで、命のエネルギーが伝わってきた。神々しい姿で、武家屋敷の周りを圧していた。
石坂さんは私の左手を叩きながら、「良いねー」と唸った。
私は驚いて石坂さんの顔を見た。目は輝いたままずっと婦人の後を追っていた。
私は、聞きたかった。
「本当に八十八歳なんですか。」
(『狼煙』67号 2011年9月)
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