パリの街

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 パリの街

パリほど、たくさんの詩人たちに歌われた都市(まち)はない。
一九四四年、ナチス・ドイツの鉄のくびきから解放されたパリを、アラゴンはこう歌った。

 ポワン・デュ・ジゥルからペール・ラシェーズへと
 祖国の不滅のかがり火は 消えることなく
 その赤い熾火(おきび)より よみがえり 燃えあがる
 あのやさしい薔薇の木は 八月に花咲き
 四方から集まったひとびとは パリの血だ

 硝煙のなかのパリほどに 輝やかしいものはない
 蜂起したパリの額ほどに 清らかなものはない
 いかなる危険も怖れぬ わがパリほどに
 砲火も 雷も ちから強くはない
 わが抱く パリほどに 美しいものはない

 アラゴンはここで、パリの革命的伝統をたたえ、パリ・コミューンの末期、いわゆる「血の週間」に、たくさんの戦士たちが虐殺されたことで有名なペール・ラシェーズ墓地の「連盟兵の壁」を思い出しているのである。
 一八七一年のパリ・コミューンの翌日、アルチュール・ランボオは、偉大な革命の首都パリをこう歌った。

  パリよ おまえの足が怒りに燃えて 踊り狂っていた時
  その身を匕首(あいくち)で めった切りにされていたとき
  その明るい瞳のなかに なおも鹿の子色の春の
  あのやさしさをたたえて 横たわっていたとき

  おお 苦しみ悶える首都 おお 瀕死の首都よ
  その頭と二つの乳房を 「未来」の方に向けて
  蒼ざめた身に 無数の城門をひらいた首都よ
  詩人は歌うのだ「おまえの美しさはすばらしい!」と


  嵐は おまえを 至高の詩へと高めた

 詩人たちの熱狂と讃歌は、その背後にいる人民の熱狂と情熱の表現であり、反映である。ヴィクトル・ユゴーをはじめ、多くの詩人たちがパリ・コミューンを支持し、すでに詩を「歌う武器」としてたたかい、あるいはじっさいに銃を執って、バリケードでたたかった。しかし、反動のヴェルサイユ政府の側には、ひとりの詩人もいなかったのである。ヴェルサイユ政府には、「秩序を維持する」のに、シャスポー銃と機関砲しかなかった。だが機関砲も、人民の声や詩人たちの歌ごえを抑えつけることはできなかったのである。
 こんにち、全世界の革命的な労働者の歌となっているポティエの『インタナショナル』は、一八七一年六月、ヴェルサイユ軍による血なまぐさい弾圧のさなかに書かれたのであった。

(「パリ・コミューンの詩人たち」)

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