ポティエ「彼女は死にはせぬ」

ここでは、「ポティエ「彼女は死にはせぬ」」 に関する記事を紹介しています。
 彼女(コミューン)は死にはせぬ
   「血の週間」の生き残った人たちに

                 ウジェーヌ・ポティエ

大砲やシャスポー銃に
コミューンは 撃(ぶ)ち殺されて
破れはてた 赤旗もろとも
泥のうえを 引き廻された
脂(あぶら)ぎつた 死刑執行人(ひとごろし)どもは
おれは強いと うぬぼれた
 だが それでも ニコラスよ
 コミューンは 死にはせぬ

草を苅る 大鎌のように
林檎を たたき 割るように
ヴェルサイユ軍は 虐殺した
すくなくとも 十万人を
この十万の ひと殺しが
何をもたらしたか 見るがいい
 だが それでも ニコラスよ
 コミューンは 死にはせぬ


かれらは銃殺した ヴァルランを
フルーランス デュヴァル ミリエールを
フェレ リゴオ トニ・モアランを
墓場いっぱいに 詰め込んで
かれらは思い込んだ コミューンの
腕を切り落とし 血を抜きとったと
 だが それでも ニコラスよ
 コミューンは 死にはせぬ


やつらの振舞いは ならず者だ
静かな 夜陰に乗じて
野戦病院の ベッドの中の
負傷兵たちに 止めを刺した
血はシーツを濡らして溢れ
扉(とびら)のしたに 流れ出た
 だが それでも ニコラスよ
 コミューンは 死にはせぬ

警察の 御用記者どもは
デマ中傷を 書きなぐり
おれたちの 屍(かばね)のうえに
罵詈讒謗(ばりざんぼう)を 吐きかけた
マキシム・デュカンや デュマの輩(やから)
やつらの筆には へどが出る
 だが それでも ニコラスよ
 コミューンは 死にはせぬ

やつらの頭上 垂れているのは
ダモクレスの 斧なのだ
ヴァレスの葬儀の日には
やつらはまったく まぬけだった
じつは やつらが自慢したのは
葬列に続いた 群衆だった
 だから つまり ニコラスよ
 コミューンは 死にはせぬ


それは戦士たちに 告げるのだ
マリアンヌの肌は 赤銅で
その腹には 魅力がある
コミューン万歳! を叫ぼうと
そして裏切者には 告げるのだ
ことはこのように 進んでいる
 いまにやつらも気がつくだろう
 コミューンは死にはせぬと


(1)ダモクレスの斧──ダモクレスの頭上には、一本の髪の毛で斧が吊されていた。常に危険が身に迫っているの意。
(2)ヴァレスの葬儀──ヴァレスは一八八五年二月十四日、この世を去った。彼の市民葬には大群衆が参加し、ペール・ラシェーズ墓碑への葬列は、「コミューン万歳!」を叫びながら、えんえん五キロに達したといわれる。ポティエはヴァレスに訣別の詩を贈っている。


 ポティエにあっては、これらの貧困・悲惨のイメージは、しばしば自然主義作家のそれよりも酷薄なものであるが、それは必ずしも、出口のない絶望に終るとはかぎらない。いやむしろ、詩の最初の部分における悲惨なイメージは、きわめて論理的に、革命的結末へと帰結するのである。たとえば、『彼女は死にはせぬ』のような楽天主義的な調子で、「血の週間」の虐殺を書くことができたのは、かれが未来を信頼し、明日の日の勝利を確信していたからである。こうしてかれは、敵の残忍な虐殺と流刑とにもかかわらず、絶望やアナーキズムに陥ることなく、コミューン戦士たちの建設的なエネルギーと情熱をたたえ、未来にたいする希望を歌いつづけたのであった。

<『パリ・コミューンの詩人たち』──彼女は死にはしない>

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