パリの街歩き(抄)
ジャック・ゴーシュロン
活気に溢れた都市よ
そのすべての石で 石畳で
壁で 街まちで
人影もなく寂れているどころか
ここに群がる人影や足跡は
想像もつかぬ運命をめざしてゆく
高い断崖のあいだを流れる河のような
活気に溢れた並木通り
家いえの正面 窓 人影のないバルコン
とても晴れたある日 大通りを
ひとつに腕を組んだ群衆がねり歩き
おのればかりに耳傾ける支配者どもに
民衆にも耳をかすようにと要求する
ほんの少し正義のために
せめてほんの少し圧制のために
みんな市民であることを忘れぬように
おれは何者なのか どこでしゃべっているのか
知らねばならぬ
おれは道を歩いている途中だ
背をかがめて数世紀の道をとぼとぼ辿っているのだ
名もない者のなかの名もない者だと言った方がいい
ついこの間まで 幽霊のように
影もうすい奴隷の身に落されていたのだ
はるか遠いむかしから
蔽いかくされた顔 むきだしの顔
何者なのか おれは
まさしく何者なのか おれたちは
バリケードの石畳の間で生まれてから
二世紀 おれたちは何者になったのか
おれは二〇〇歳だ ちょうどおれは
バスチーユ広場からやってきたところだ
おれはパリの街なかを歩いている
ひとりぼっちではない
死んだ人たちや生きてる人たちと腕を組んでゆく
むかしの不屈な闘士たち
新しい若者たち
空間のなかの数世紀をたどる街歩きよ
おお 貧乏人たちの世界に辿りつくまでののろさ
おれはきのう城塞の根方
牢獄の根方にいた
おれは叫んだ 牢獄を開けろ
囚人たちに空と大地を返してやれ
人民を解放しろ
いまおれはバスチーユ広場を後にしてきたところだ
それは悦ばしい重大な変化の一日だった
その生ける民衆と腕を組んでおれは歩いている
民衆はめいめいおのれの顔を昂然と挙げる
新しい顔を
つらつら思い出せば おれは
バスチーユを占領した人びとといっしょにいた
このパリの大通りからおれは見た
病み衰えた王制や
恐怖をふりまいた王公たちが蒼ざめて
卑劣な巨大な圧制が崩れ落ちてゆくのを
おれは見た 世界を見るもうひとつの眼をおれはもつ
おれは肌を変え血を変えた
突然おれはずっと大きく生まれついたように
あたかもおれは 新しい身の丈を
市民の背丈をたしかに獲得したかのようだ
・・・
おれはむかしの老戦士たちの足どりに追い着く
おれはバリケードの石畳の上を歩いた
なるほど人間はすべて権利において平等だ
パリの七月の太陽に輝く
レプュブリック広場の銅像の上によじ登って
悦びのあまりおれは赤い縁なし帽*を空に放り投げた
・・・
おれはパリの街まちを歩く
かずかずのドラマや謎にみちた
白日の下の歴史のなかを
おれはパリにふさわしくなろうと努める
わが町よ わが市民の都よ
多くの水がセーヌの橋の下を流れ
多くの血が街まちに流れ
多くの血が壁のうえ
墓のほとりにまで流れた
おれはパリの街まちを歩く 時は五月
おれはふと
花屋の店に立ちよる
あそこの壁に花束を捧げに行こう
注* 赤い縁なし帽── 一七八九年のフランス大革命のとき革命家たちがかぶった赤い縁なし帽。
** この壁は主としてパリ二〇区シャロンヌ地区にあるペール・ラ・シェーズ墓地の「パリ・コミューヌの壁」を指す。この壁の前で、一八七一年五月コミューヌ最後の戦士たち数百名が銃殺された。その弾痕がいまもこの壁に残っている。
この詩はゴーシュロンの詩集『不寝番』(一九九八年)より訳出した。ゴーシュロンは文芸誌『ユーロープ』誌編集委員会にぞくして、エリュアールやアラゴンについての優れた評論を書き、『詩とレジスタンスと』という信頼に足る名著の作者である。それにもかかわらず、彼の来歴についての資料はわたしのところにはほとんどない。彼の著書にもそれについては何も書かれていない。ただわたしにわかったことは、彼が一九二〇年生まれで、美学・芸術学の教授だったということぐらいである。
(訳者)
<「稜線」二〇〇〇年夏 七二号>
ジャック・ゴーシュロン
活気に溢れた都市よ
そのすべての石で 石畳で
壁で 街まちで
人影もなく寂れているどころか
ここに群がる人影や足跡は
想像もつかぬ運命をめざしてゆく
高い断崖のあいだを流れる河のような
活気に溢れた並木通り
家いえの正面 窓 人影のないバルコン
とても晴れたある日 大通りを
ひとつに腕を組んだ群衆がねり歩き
おのればかりに耳傾ける支配者どもに
民衆にも耳をかすようにと要求する
ほんの少し正義のために
せめてほんの少し圧制のために
みんな市民であることを忘れぬように
おれは何者なのか どこでしゃべっているのか
知らねばならぬ
おれは道を歩いている途中だ
背をかがめて数世紀の道をとぼとぼ辿っているのだ
名もない者のなかの名もない者だと言った方がいい
ついこの間まで 幽霊のように
影もうすい奴隷の身に落されていたのだ
はるか遠いむかしから
蔽いかくされた顔 むきだしの顔
何者なのか おれは
まさしく何者なのか おれたちは
バリケードの石畳の間で生まれてから
二世紀 おれたちは何者になったのか
おれは二〇〇歳だ ちょうどおれは
バスチーユ広場からやってきたところだ
おれはパリの街なかを歩いている
ひとりぼっちではない
死んだ人たちや生きてる人たちと腕を組んでゆく
むかしの不屈な闘士たち
新しい若者たち
空間のなかの数世紀をたどる街歩きよ
おお 貧乏人たちの世界に辿りつくまでののろさ
おれはきのう城塞の根方
牢獄の根方にいた
おれは叫んだ 牢獄を開けろ
囚人たちに空と大地を返してやれ
人民を解放しろ
いまおれはバスチーユ広場を後にしてきたところだ
それは悦ばしい重大な変化の一日だった
その生ける民衆と腕を組んでおれは歩いている
民衆はめいめいおのれの顔を昂然と挙げる
新しい顔を
つらつら思い出せば おれは
バスチーユを占領した人びとといっしょにいた
このパリの大通りからおれは見た
病み衰えた王制や
恐怖をふりまいた王公たちが蒼ざめて
卑劣な巨大な圧制が崩れ落ちてゆくのを
おれは見た 世界を見るもうひとつの眼をおれはもつ
おれは肌を変え血を変えた
突然おれはずっと大きく生まれついたように
あたかもおれは 新しい身の丈を
市民の背丈をたしかに獲得したかのようだ
・・・
おれはむかしの老戦士たちの足どりに追い着く
おれはバリケードの石畳の上を歩いた
なるほど人間はすべて権利において平等だ
パリの七月の太陽に輝く
レプュブリック広場の銅像の上によじ登って
悦びのあまりおれは赤い縁なし帽*を空に放り投げた
・・・
おれはパリの街まちを歩く
かずかずのドラマや謎にみちた
白日の下の歴史のなかを
おれはパリにふさわしくなろうと努める
わが町よ わが市民の都よ
多くの水がセーヌの橋の下を流れ
多くの血が街まちに流れ
多くの血が壁のうえ
墓のほとりにまで流れた
おれはパリの街まちを歩く 時は五月
おれはふと
花屋の店に立ちよる
あそこの壁に花束を捧げに行こう
注* 赤い縁なし帽── 一七八九年のフランス大革命のとき革命家たちがかぶった赤い縁なし帽。
** この壁は主としてパリ二〇区シャロンヌ地区にあるペール・ラ・シェーズ墓地の「パリ・コミューヌの壁」を指す。この壁の前で、一八七一年五月コミューヌ最後の戦士たち数百名が銃殺された。その弾痕がいまもこの壁に残っている。
この詩はゴーシュロンの詩集『不寝番』(一九九八年)より訳出した。ゴーシュロンは文芸誌『ユーロープ』誌編集委員会にぞくして、エリュアールやアラゴンについての優れた評論を書き、『詩とレジスタンスと』という信頼に足る名著の作者である。それにもかかわらず、彼の来歴についての資料はわたしのところにはほとんどない。彼の著書にもそれについては何も書かれていない。ただわたしにわかったことは、彼が一九二〇年生まれで、美学・芸術学の教授だったということぐらいである。
(訳者)
<「稜線」二〇〇〇年夏 七二号>
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