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ピカソの「戦争と平和」

ここでは、「ピカソの「戦争と平和」」 に関する記事を紹介しています。
鳩の紋章の楯を手に
ピカソの「戦争と平和」   大島博光

 朝鮮戦争の細菌作戦を告発

 ピカソに「戦争と平和」という壁画がある。南仏ヴァローリスにある、十四世紀に建てられた古い礼拝堂を改造した美術館の壁を飾るもので、そこはいま「平和の殿堂」とよばれている。
 一九五二年に描かれた「戦争と平和」は、「ゲルニカ」(一九三七年)とおなじように、その時代の闘争と状況にこたえたものである。その前年に描かれた「朝鮮の虐殺」についで、この壁画は朝鮮戦争におけるアメリカ軍の細菌作戦を告発すると同時に、そこから「戦争と平和」という発想を得ているのである。
 「戦争と平和」は、それぞれ独立した一枚の画から成り、それぞれが五☓十㍍というぼう大な大きさで、あわせて一〇〇平方㍍に達する。この途方もない大きさは、初めからこの礼拝堂の壁を飾ることがきまっていたからである。

 二枚のパネルが語るもの

 「戦争」のパネル──この壁画は、板を貼り合わせたパネルに描かれている──では、戦争を象徴する、角を生やした奇怪な人物が、痩せ馬の曳く柩車に乗って、血まみれの剣を振りかざしながら進んでいる。そして左手に持った皿からは、細菌がばらまかれている。背景の空には、おなじく武器を振りかざした一群の兵士が影絵のようにくっきりと浮びあがっている。──この不吉な一団に面と向って、画面の左端に、平和の戦士が正義の剣と無垢の楯を手にして、一団をおし止めようと足をふんばって、力強く立ちはだかっている。
 この構図は、ピカソの意図をはっきりと示すイメージから成っている。色彩は壁画で一般に用いられるよりは鮮やかである。朱、青、黄、褐色、白・・・しかし黒が支配的である。この戦争を象徴する亡霊のような人物たちが、殺戮(さつりく)を演じている舞台の上には、星もない夜が降りてくるように見える。
 片方の「平和」のパネルでは、青と緑と灰色とが、平和にふさわしい雰囲気をかもし出している。子供たちは跳ねまわり、女たちは踊り、半人半馬(ケンタウロス)が笛を吹き、翼のある馬(ペガサス)を坊やが追っている。画面の右側、オレンジの木かげでは、三人の人物がそれぞれ自分の仕事にうちこんでいる。母親は赤ん坊に乳をのませながら読書しており、男は紙のうえにペンを走らせている・・・この楽園のようなイメージの上には、表の穂の光芒をもった多色の太陽がかかっていて、人類の幸福を見守っている。ここでは、さんさんたる陽光を浴びて、平和のもとで働き、生きるよろこびが謳歌されている。

 全世界の闘う人民を励ます

 「戦争と平和」、光と闇との、不幸と幸福との、対照を描きだした途方もない大作である。戦争と平和──このテーマは、「ゲルニカ」以来、ピカソの頭にこびりついていたテーマのひとつであった。この壁画では、その前年に描かれた「朝鮮の虐殺」におけるような、辛棟な手法はとられていない。「戦争」は影のなかに現われ、破壊と犯罪の一団をしたがえている。しかし、「戦争」はその前にたちはだかるライバル「平和」の前におしとどめられ、あとずさりしてゆく・・・「平和」の戦士は、象徴的なミネルヴァ(ローマ神話における知識・芸術の女神)と鳩の紋章のついた楯を手にして、死と破壊の戦車をおし止めている。「平和」の戦士は、血に飢えた怪物に堂堂とたちむかい、地獄の敷居のうえにすっくと立っているのである。
 こんにち、細菌戦争どころか、核戦争を叫ぶやからにたいして、世界じゅうで数万・数十万規模の反核反戦集会がくりひろげられている。この対比対照をみる時、このピカソの壁画は象徴的である。この壁画をとおして、ピカソは戦争に反対して闘っている全世界の人民を支持し励ましているのである。
 (おおしまひろみつ・詩人)

<「赤旗」1983.7.26>

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