軽井沢沓掛の宿にて──軽井沢日記(昭和19年)

ここでは、「軽井沢沓掛の宿にて──軽井沢日記(昭和19年)」 に関する記事を紹介しています。
昭和十九年
五月七日 軽井沢沓掛の宿にて
永遠と時間、人間の偉大さと惨めさ、有限と無限・・・
これら両極のあひだを動揺することによって、わが日日は流れ去る。このやうなイデエたちが友のごとくわれに語りかける。不可見が可視的に身近かに感じられる。光りと闇がだんだん溶けてくる・・・しかしわれ自ら、わが内なる深淵に溺れはせぬか、それが怖ろしい。しかしまたその時には、翼が役立たう。そのやうな時には、わが深淵を天空に投げかへさう。

五月十一日
夜、暗たんとして強き風あり。宿を出でて、追分への道を彷徨す。嵐の夜の底より天空に叫べど、叫び声はただ風に運び去られ、死せる暗黒の天体(ほし)にひとり佇み立てるもののごとし。パスカルの「永遠の沈黙」を想へり。知性の疲れはて、黙する時、心臓が不安に戦くならむ。これは一個の心理学的問題たるべし。──暗黒の夜の天空の彼方になほ永遠の光彩を描き見るは精神の操作のみ。

*  *  *
昭和19年4月、『蝋人形』が解散したため、博光は信州に疎開して療養生活を始めた。この日記によって5月と8月に軽井沢に逗留していたことがわかった。清沢洌の「暗黒日記」に──昭和19年5月13日(土)鮎沢つゆ子さんの友人の詩人大島博光という人尋ね来たる。つゆ子さんが駅で逢ったのだという。詩の雑誌をやっていたが統合されて無職である。──と書いてある。博光が鮎沢露子と逢った理由が軽井沢啓明学園への就職に関わったことかと推測していたが、啓明学園とは関係ないようだ。軽井沢を逍遥していた博光が鮎沢露子と偶然会ったのか、別の理由があったのかは不明。
ちなみに、この日記には5月14日の記載が2回あるのに、5月13日の記載はない。清沢洌や鮎沢露子も出てこない。

・五月十四日
朝食後、宿を出でて、追分に向ひ散歩の道を辿る・・・

・五月十四日 快晴なれど風強し
浅間の全貌を望むべく、沓掛南部の野を逍遥す・・・

・六月七日 千曲河畔にて

・六月十日 若葉に漂ふ緑がかった黄昏の明るみの中に・・・

・七月六日 田舎の静けさの中には・・・

・八月十日 沓掛にて

・八月十二日 沓掛にて

・八月十三日 今朝、浅間が爆発した・・・

・八月十四日 沓掛にて

・八月二十九日 千曲河畔にて

・9月8日 千曲川畔にて

・9月9日 ヴァレリイの『海辺の墓場』を訳したり、キエルケゴールの『饗宴』を訳していながら、絶えずわが脳裏に去来するのは詩と詩人の場所の問題である。

・12月29日 遠き世界のひびき、神秘のひびきを獲得して・・・

・(ノート後部 日付なし)またすこし熱がでると共に、不吉な幻影に襲はれ・・・(友人だった画家酒井正と山鹿正純の死について)

・(ノート後部 日付なし)リルケに就いて

・(ノート前部 日付なし)今朝は風もないしづかな春の朝であった・・・

・(ノート前部 日付なし)春はまづ音からはじまる

・(ノート前部 訳詩)海べの墓地

<ノート戦前-S19>
関連記事
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://oshimahakkou.blog44.fc2.com/tb.php/1396-b5ed952d
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック