プラント街三六番地──画家末永胤生に

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プラント街三六番地──画家末永胤生に
                           大島博光

パリの南門 ポルト・ド・ルレアンの近く
地下鉄のアレジア駅から浮かび上がると
そこに 画家のやさしい微笑みが待っていた
三十年ぶりに握った画家の手は柔かかった

うちつづくニセアカシヤの並木が
白い小さな花群れを 花火のようにつけて
さわやかな風に 香っていた
夏のパリの 長くて明るい夕ぐれに

画家は アトリエで
若者のような熱っぽさで語る
──パリの光は油絵の色によくマッチするんだ
佐伯祐三もそれを感じとっていたから
パリでしか絵が描けなかったのだ
この光 この明るい軽やかな光
これが 絵を生むのだ・・・

その光ととけあった
かろやかな色彩たちの
はてしないヴァリエーションが
アトリエの壁のうえで歌っていた
オウレの うすみどりの広い河と白い橋を
リュクサンブールのマロニエの緑の壁と噴水を
ひろい野のなかの白い馬と少年を
地中海のほとりマントンのブルーと船を
見ることのすばらしさと
生きることのしあわせを

老画家は語る
──「ノヴァ*」で飲んで「山小屋」へ流れて
それから屋台で飲んで 明け方
幡ヶ谷ちかくのアトリエに辿りつく
あの頃 楠田一郎が 二年も
ぼくんところに転がり込んでいた
楠田は「山小屋」のみっちゃんが好きだったのに
気の弱いかれは
とうとう それを言わずじまいだった・・・

そうだ その頃だ
新宿三丁目裏の 花園神社の軒下で
「黒い歌」の詩人が寝たというのは──

その楠田一郎が死んで四十年
遠いパリの空の下で
彼の思い出を語りあおうとは──

プラント街三六番地
うちつづくニセアカシヤの並木が
白い小さな花群れを 花火のようにつけて
さわやかな風に 香っていた
夏のパリの 長くて明るい夕ぐれに

       一九八〇年八月十八日
       パリ コロネル・ファビアン広場のほとりで

*注「ノヴァ」── 一九三五年頃、現在の新宿の伊勢丹前のマルイの裏の路地に「ノヴァ」という小さな酒場があって、その頃のボヘミヤンたちのたまり場でもあり、名所でもあった。
「山小屋」という酒場は新宿三丁目裏の迷路のような小路にあって、美人の姉妹が店に出ていて、はやっていた。楠田一郎は死ぬ前のひと頃、毎晩のように「山小屋」で飲んでいた。みっちゃんは妹の方だった。

(自筆原稿)

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