静江ノート「一週間の短いパリ滞在」

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 一週間の短いパリ滞在でしたが、その間、数ヶ所の美術館や、中世のゴチックの寺院を見てまわりました。その間、一番感じた事は、婦人達が年令に関係なく、誇らかに働いていたことです。コンコルド広場のオランジェリー美術館に行きますと、切符売り場も貴重品預り所も各室の守衛も紺の背広を美しく着こなした五十才前後の婦人達で、堂々とした態度で任務についており、イヤリングなどして身をかざったこれも六十過ぎの婦人達が二人連れで絵を鑑賞しているその人達と、人間的に何の差もなく堂堂と立派でした。
 また、ベルサイユの駅の近くの小さなレストランに友達と寄ると、若い娘さんが目も回る程忙しい給仕の仕事に(一テーブルに五皿も運ばなければならないフランスの昼食)ふと見るとバーテンは六十才位の母親らしい人で、ビフテキもオムレツもポテトチップもこの人の手で作られ出てきます。こちらは落ち着いたもので、娘の上がっている分も落ち着いて私達の難解のフランス語を解ってくれて暖かくサービスしてくれました。
 シャンパーニュ地方のシャルルビルと云う街のレストランに寄った時も、レジも給仕も五十才位の婦人で、私達の目的のアルチュール・ランボオの生家、パリ・コミューンを歌った詩のことなどよく理解しており、博物館への行き方など親切に教えてくれました。
 シャルトルの聖堂の前では、レースの高帽をかぶったおばさん達が、その場でレース編みをしながら、手袋や花瓶敷などを売っていましたが、いかにも農家の主婦らしい赤ら顔のおばさん達で、これは又元気なものでした。こうした人達が、広大な土地に重い木靴に重い木の車や鋤をつかって耕し、収穫し、札を買って、その集積が、このシャルトルの聖堂となり、ステンドグラスの一つ一つに、教会の高いドームの石の一つ一つに先程からの血と労働が積み上げられたかの様に思えました。
 ベルサイユとフォンテンブローの宮殿を見た時、十七世紀から十八世紀へかけての王朝最盛期とその末期のらん熟しきったロココの芸術を見ると、感嘆の反面、あまりのけんらんさにかえって憎悪を感じ、中庭の石畳の石一つ一つに、搾取され、命をすりへらしていった農民達の遺恨の目を見る思いで、その上を遊ぶ雀たちがその頃と変わらず
 一方、ルーヴルを出て、チュールリー公園に行くと色鮮やかな花は美しいフランス庭園の花壇と噴水を囲むベンチに、老人達が新聞を読みふけり、或いは本に読みふけり、或いは二人つれだって語り合い、精神生活の豊かさを感じました。
 今迄娘によく「お母さんは120%も労働をしつづけてきたのだから五十を過ぎたら静かな生活に入って読書と創作の生活をしたら」と言われてきましたが、フランスに行った一番のお土産は、年齢に関りなく、何才までもその能力に応じた生産の場に加わり、労働し、勉強してゆこうと云う果しない希望でした。
<ノート下書き>

静江パリ
バルビゾン村で 1974年8月
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