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深夜の通行人

ここでは、「深夜の通行人」 に関する記事を紹介しています。
 深夜の通行人

すべての窓は君を呼んだ
彼らは水がほしかつた 思い出がほしかつた
彼らは飢えに呻いてゐた
しかし君は答へなかつた君は見えなかつた
私は答えなければならなかつた
君は私のそばにゐると

しかしすべての死んだ魚の眼には
君が見えなかつた
私のそばに立つてゐる君が
私のそばに踊つてゐる君が
私は顔をしかめた

窓には君の焼いた窓掛が下つてゐた
壁には君の投げた血が固つてゐた
君の放火の痕跡のなかで
厚い否定の唇が私の耳に囁き
すべての見えない眼は私からそむけられた
私は見なければならなかつた
彼らの眼のなかに死の影を
そして私は出て行かねばならなかつた
この湧かない泡の中から
二重の影のやうに
見えない君と二人で

道はしろく
枯れた草原を横切り
林を抜け
赤い空地で
君の影は
赤い靴で踊り
枯れ草の中で
われらは眠り
そして道はしろく
速く見えない町町へ
蒼ざめた屋根屋根へ
かなた夕暮のなかへ続き
はるか夜の空に連なつてゐた

われらは歌ひながら
馬の蹄のように踊つて行つた

向うの森かげから
凍る寒さが這つてきた
すると君は裸になつて
よろめきながら太陽を呼びに行つた
そのときから私の中に黒い穴を残して
──風が吹き抜ける──
君はもう私のそばにゐなかつた
闇に吸われた火のやうに
ただ絶望に肥えて私の影は凍つた
時間は私を追ひ越して行つた
握手した生と死のうへに
君の迫つた呼吸が聞こえた
それは君と私のあいだにこだました
私は歯を喰ひしばつた

君は朝のほうへ行つてしまつたのか
君は太陽とともに登つてくるのか
しかし朝の跫音はどこにも聞こえなかつた
ただ遠い夜のなかへ
すべての時間が吸ひこまれて行くのが
私の痩せた耳に聞こえた
かくてただひとり
私は深夜の通行人となつた
     *
光りは光りを消し 夜は夜を呑み
大地は大地のしたに沈んだ
さうして闇に醒めた私の眼は見た
偉大な悪夢の顔を
すべての樹が石が
すべての草が土が
声なき悲惨をうたひながら
永遠の夜へむかつて辷りゆくのを
空はひくく薄明の底より
隠された星たちを見おろし
悲惨の歌声は君の迫つた呼吸のやうに
草の葉よりそよぎ梢よりのぼり
石をつらぬき土をうねり
天と地にみちあふれるのを

私は耳を蔽ふた
しかし歌声は私の骨にひびいた
私は眼を閉ぢ手を握りしめた
     *
夜の壁の向ふがわに
世界終焉の太陽はのぼるであらう

<『現代詩人集』1940年>
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