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静江の日記「ぢいやんの看病」

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静江日記 1月20日 快晴

主人とボーヤ、秋しょうさんは山田へスキーに行く。私も行こうと主人はしきりに言ったが、お父さんの最後の時に、とても行く気になれないのでやめにした。意識もあって、静江かと言ってくれた。上京した時、上野駅へ出迎へたり、上野博物館へ御案内すればよかった、とつくづく後悔された。お腹がずいぶんはっていて、もんだ。十一時頃、水沢へ行く。千曲川を通りながら鍬をかついで私を畠に連れて行ってくれたぢいやんを思った。あの頃の私は本当に純情だったと思う。──尤も今もそうだが──。余分、博光にほれてるのだなー。私にとって赤城の思い出より千曲川の思い出の方がどんなに美しく純粋な事か。結婚以来、本当に私は幸せになったと思う。雪景色のリンゴ畑や、四方の山々に私の思いではつきない・・。ポプラ林も雪景色の中にあって、彼に会いに来た日々を思い浮かべ・・・。水沢へ行って、おひるをごちそうになる。ここは秩序があって、かたくくらしてゆく農民のたしかさを感じた。お土産にリンゴを沢山もらう。寺尾へ帰ってぢいやんのお守りをしたら、ねてしまう。又素手でお腹をもむ。夕方、ぢいやんがよく眠ったので、又土手に上る。ぼーやを妊娠してる時、霊感を言いたい程の喜びにふるえた土手。雪の土手をポプラに向って歩きながら西畑の思い出にふけったり、雪の中のリンゴ畑、ポプラ林へスキーに行った博光の事を思って、彼は須坂の雪の中でプシの事を思っていないかしら、などと思う。去り難い思いだった土手を又北へ走り、家へ帰った。ぢいやんに、そばへ居ないと言って叱られた。
夕食のあと、「おかあちゃんまだ帰らないか」と言って、元気な声で主人が帰ってくる。一緒に東京へ帰ろうと言う。私はうれしいけど、それで病人に対していいのかしらと思ってしまう。ぢいやんが淋しいだろうに。ぼーや、秋しょう、みのちゃんも一緒に帰ってくる。二人ともとても上達したそうな。ボーヤのケンタンぶりは大したもの。我が子の大きくなったのを今更ながら眺める。「高校進学」という雑誌をむさぼるように読んでいるのを見て、よい本を身辺に置いてあげれば読む子なのになあと思う。さんざん迷ってぢいやんに別れを告げ八時二十分に出発する。主人も。ぢいやん、又来るよ、と言うと、バカヤロと言う。長野行のバスに乗る。バスの中で又話す。最期迄居てあげるのが貴方の役ぢゃないと言う。みいちゃんも山に帰ればそれこそ淋しいし、と言うと、ぢゃ、お前がそれ程言うなら帰ると言って帰ることにした。駅前で下りて、私は桃子をオンブして、彼は荷物を持ってくれて長野駅迄の雪の道を歩く。最初に会った日を思い出す。雪の長野駅だった・・。つい此の間の様な気がする。主人に言って笑いあう。次の思い出は、あなただけが上京する日、ボーヤを背負って長野駅迄見送りに来たが、あれも雪の日だった。丁度九時の汽車の時間にかっきりで、桃子とあわてて乗った。彼は無事バスで帰れたかしら。
ぢいやんも 今夜か明日か分らないのに、生きたがっているのに、よく看病してくれればよいが。
汽車、さかきに着く。信濃路奥深くの旅を感じる。寺尾の家の天井を見ながら、信州の奥深く、私は来たものだなあ、と思ったが。
(昭和36年1月)

*東京に帰って書いたのが1月21日の手紙になります。

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