大島静江追悼文集に遠山国臣さん(妹・房枝の夫)が、偲ぶ歌を2首書いています。
亡き人を しのぶ野川の 桜かな
利根川の ほとりに建てる朔太郎の碑に 涙せし君はいずこぞ
1首目は静江を偲ぶ会のあと、都立野川公園(三鷹市)を散策したときのこと。
練馬の近藤芳子叔母や、遠山国臣夫婦といっしょに満開の桜を見て回りました。
2首目に関して、房枝さんのお葬式のとき、国臣さんが話してくれました。
「静江さんは感激家で、敷島公園の朔太郎の詩碑を読んで感極まって涙を流していた・・・」
静江は前橋の敷島公園が好きで、少女時代、敷島公園の泉をチャイコフスキーの「アンダンテ・カンタービレの泉」と呼んでさまよっていた(博光「静江の希い」)といいます。
亡き人を しのぶ野川の 桜かな
利根川の ほとりに建てる朔太郎の碑に 涙せし君はいずこぞ
1首目は静江を偲ぶ会のあと、都立野川公園(三鷹市)を散策したときのこと。
練馬の近藤芳子叔母や、遠山国臣夫婦といっしょに満開の桜を見て回りました。
2首目に関して、房枝さんのお葬式のとき、国臣さんが話してくれました。
「静江さんは感激家で、敷島公園の朔太郎の詩碑を読んで感極まって涙を流していた・・・」
静江は前橋の敷島公園が好きで、少女時代、敷島公園の泉をチャイコフスキーの「アンダンテ・カンタービレの泉」と呼んでさまよっていた(博光「静江の希い」)といいます。
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