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酔いどれ詩人

ここでは、「酔いどれ詩人」 に関する記事を紹介しています。
酔いどれ詩人

■大島博光先生は私のことを「酔いどれ船の詩人」だなんて、詩集の評で書いてくれましたが、アルチュール・ランボーの「酔いどれ船」にひっかけて、酒呑んで酔っぱらってばかりいるもんで言ったんでしょう。
 大島先生だってね、酒は随分呑んだんですよ。西条八十先生のところで詩誌『蝋人形』の編集をしていた時分のことと思うが、外に呑みに出て仲間とどのくらい呑めるか言い合いになって、靴を脱いで酒をつがせて呑んだと話してましたからね。若い頃はかなりの酒豪だったんじやないかと思いますね。

よみがえる人

■大島先生は九十五歳まで生きて亡くなられたわけですが、よくガンバッテ生きぬかれましたよ。亡くなる二年くらい前の九十二歳か九十三歳の時に、フランスのゴーシュロンという詩人の訳詩を出した。これには魂消ましたね。なによりも九十歳過ぎての、その仕事に対する執念に驚嘆してしまう。腸のガンで、人知れず立川で入院していた頃はもう駄目かと思いました。奥さんが亡くなってから後のことで、八十七歳ぐらいの時かなあ。それが退院したら間もなく二冊の訳詩集を出版されて送られてきた時はビックリしました。
 立川の病院で大手術をして治ってから書いた詩がある。

   私はよみがえる
   希望の中にずっしり根をおろして
   私は生まれかわる
   暗闇ばかり見ていた昨日は消え失せ
   私はまた詩人に生まれかわる
                  (「点滴の歌」)

 この詩を読んだ時は嬉しかったですね。大島博光は再びよみがえったと思いましたよ。本人ももう駄目だと思っていたらしい。その頃の詩人会議の人達にも、もう危ないってことで連絡したんですよ。そうしたら、その当時に丈夫だった人々がみんな大島先生より先に向こう岸に舟でいっちまった。それに比べると博光先生はガンバリましたよ。九十五歳まで生きたんだから、大島先生は何度もよみがえったんですよ。

・小熊忠二 (1927~)
 詩人。長野市在住。若い日に大島博光と出会い、国鉄詩人として詩作を続けた。詩集『愛のあかし』『小熊忠二詩集』『ペンギンの足』『空に浮かべたこっぱ舟』

(『狼煙』58号 小熊忠二「よみがえる詩人 大島博光」)
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