人生とボードレールの一行と
「人生は ボードレールの一行にも如かない」
これは 有名な芥川竜之介のアフォリスムだ
すでにペッシミストだった中学生のわたしは
この竜之介の一行に酔った 酔っぱらった
そのとき わたしはまだ人生を知らなかった
ボードレールについても 何も知らなかった
わたしは生きて苦労して 少しばかり人生を知った
ボードレールについても 少しばかり勉強した
そしてむかし酔ったこの一行を読みかえしてみた
「人生は ボードレールの一行にも如かない」か
いつか老眼鏡で読みかえしてみて わたしは見た
そこにひとりの芸術至上主義者の絶望の探さを
だが竜之介には それはやはり真実だったろう
自ら生を絶って 彼はそれを実行したのだから
それでもやはり それは絶望をみずからに慰める
トリックではなかったか レトリックではなかったか
地球よりも重いとさえいわれる この人生が
どうしてボトレールの-行にも如かないものか
そのボードレールは 一八四八年*の革命を裏切って
芸術のための芸術の理論の創始者となった
そんな ボードレールの一行であるからには
人生を賭けるに足るものではありえなかろう
この世には ひとを悪酔いさせる酒も流れている
危うく わたしは人生をあやまるところだった
反 歌
しかし死刑執行班の 銃声のひびく地獄の中でも
頭を高くあげて 希望を歌いつづけた詩人がいた
アラゴンはわたしに教えて はげましてくれた
「人を愛することだ 人生は生きる値うちがある」
注* 一八四八年──「一八四八年、フランス人民が一瞬、積年の圧制を永遠にくつがえしたかに見えたとき、そしてひとびとが社会的共和制の最初の夜明けのひかりを見たとき、詩人たちさえも一瞬、自分のまえに現実世界の展望のひらけるのを見た。そしてボードレールも、そう、あのシャルル・ボードレールさえも、労働者詩人ピエール・デュボンの熱心な擁護者となり、かれの作品のなかの詩の未来をほめたたえたのだった。しかし、フランス人民がとりのけようとした暗鬱な重石(おもし)が、ボナパルチスト一味の長靴によってふたたびおろされてしまうと、それだけでボードレールは、一八四八年に書いた自分の論文を、革命の日の熱狂だといって、恥知らずにも投げすててしまった。こうしてかれはじつに、あの詩の歴史をゆがめるという構想の創始者となり、(芸術のための芸術の理論の創始者となり)あらゆるレアリズムを否定し、この分野における恥ずべき議論の公認の供給者となった・・・」 (アラゴン「第二回ソヴエト作家大会における発言」飯塚書店『アラゴン選集第二巻』七七ページ)
<『詩人会議』1986.4>
「人生は ボードレールの一行にも如かない」
これは 有名な芥川竜之介のアフォリスムだ
すでにペッシミストだった中学生のわたしは
この竜之介の一行に酔った 酔っぱらった
そのとき わたしはまだ人生を知らなかった
ボードレールについても 何も知らなかった
わたしは生きて苦労して 少しばかり人生を知った
ボードレールについても 少しばかり勉強した
そしてむかし酔ったこの一行を読みかえしてみた
「人生は ボードレールの一行にも如かない」か
いつか老眼鏡で読みかえしてみて わたしは見た
そこにひとりの芸術至上主義者の絶望の探さを
だが竜之介には それはやはり真実だったろう
自ら生を絶って 彼はそれを実行したのだから
それでもやはり それは絶望をみずからに慰める
トリックではなかったか レトリックではなかったか
地球よりも重いとさえいわれる この人生が
どうしてボトレールの-行にも如かないものか
そのボードレールは 一八四八年*の革命を裏切って
芸術のための芸術の理論の創始者となった
そんな ボードレールの一行であるからには
人生を賭けるに足るものではありえなかろう
この世には ひとを悪酔いさせる酒も流れている
危うく わたしは人生をあやまるところだった
反 歌
しかし死刑執行班の 銃声のひびく地獄の中でも
頭を高くあげて 希望を歌いつづけた詩人がいた
アラゴンはわたしに教えて はげましてくれた
「人を愛することだ 人生は生きる値うちがある」
注* 一八四八年──「一八四八年、フランス人民が一瞬、積年の圧制を永遠にくつがえしたかに見えたとき、そしてひとびとが社会的共和制の最初の夜明けのひかりを見たとき、詩人たちさえも一瞬、自分のまえに現実世界の展望のひらけるのを見た。そしてボードレールも、そう、あのシャルル・ボードレールさえも、労働者詩人ピエール・デュボンの熱心な擁護者となり、かれの作品のなかの詩の未来をほめたたえたのだった。しかし、フランス人民がとりのけようとした暗鬱な重石(おもし)が、ボナパルチスト一味の長靴によってふたたびおろされてしまうと、それだけでボードレールは、一八四八年に書いた自分の論文を、革命の日の熱狂だといって、恥知らずにも投げすててしまった。こうしてかれはじつに、あの詩の歴史をゆがめるという構想の創始者となり、(芸術のための芸術の理論の創始者となり)あらゆるレアリズムを否定し、この分野における恥ずべき議論の公認の供給者となった・・・」 (アラゴン「第二回ソヴエト作家大会における発言」飯塚書店『アラゴン選集第二巻』七七ページ)
<『詩人会議』1986.4>
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