
詩を読む会を開きました。原さん、雨宮さん、平井さん、小林、大島が参加。「釣り師の歌」、「ヒロシマ・ナガサキから吹く風は」{ランボオ」などを読んで鑑賞。

ランボオ
きみに会いたくて はるばる 訪ねてゆくと
きみは シャルルヴィルの 駅前公園の片隅に
おとなしい若者の胸像となって 坐っていた
きみが憎悪し 侮辱した ブルジョワどもは
まるでいまになって きみに復讐するかのように
きみを 哀れな模範青年の像に仕立てあげた
髪をぼうぼうと伸ばし みずから無頼の徒となり
「手のつけられぬ徒刑囚」にうっとりとしたきみが
去勢された若者のたぐいに おとされたのだ
だがわたしは きみの影をいたるところに見た
街通りの壁のうえに ムーズの岸べの水車小屋に
きみの酔いどれ船の もやった船着場の跡に
またわたしは見るのだ きみの詩人の肖像を
ファンタン・ラトゥールの「テーブルの片隅」に
ざんばら髪で 肱ついた きみの閃く青い眼を
*
・・・
ランボオよ きみもまた嵐のなかに生まれた
そのためだ きみの夜を稲妻がひき裂くのは
そのためだ きみの空に炎と血が映えるのは
運命はきみを一八七一年のフランスの若者にした
あの「天をも衝く」 コミューヌの嵐のなかを
きみは「コルクのように踊って」走り過ぎた
「生を変えよう」という夢と希望を託した
きみの五月のパリは 血と泥のなかに潰えさった
戦い倒れた ジャンヌ・マリーの手は蒼ざめた
・・・
詩を書くことと生きることとは ひとつだった
もしも きみの詩のどこか一行をひき裂いたら
そこから きみの血が赤くほとばしり出るだろう
きみはいつもなにものかに急きたてられるように
着いたかと思えば またどこかへ出かけて行った
そしてきみは 永遠に出かけるものの歌をうたった
きみはいぎよくペンを折って 別れを告げた
コミューヌを絞め殺したブルジョワのフランスに
そしてうそぶいた 「詩なんか あんなものは安酒さ」
そうしてきみがハラルの砂漠にみいだしたのは
象牙とコーヒーと 砂まみれの汗と疲労と退屈と
きみが抱いた現実は 熱い風の吹く 砂地獄
世界を股に歩きまわった きみの右脚の膝は
いつか カボチャのように大きく腫れあがり
きみはマルセイユの病院で生きることをやめた
渡り鳥のように 絶えずさまよいつづけたきみは
ひと知れぬ 飢えと渇きから 解き放たれて
やっと眠ることができた シャルルヴィルの墓地に
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