ミラボー橋─淡い錆色の鉄の橋から見て、左岸には現代的な高層ビルが群立している。左岸の橋のたもとから下手には、セメント工場があって、砂利や砂の船着場になっている。なんとも殺風景なミラボー橋界隈というか、眺めだ。
「エスプリ・ヌーボー」の提唱者であったアポリネールがこれを見たらどう思うことだろう。このセメント工場もビルの群立も、第二次大戦後もかなりたって後のことであろう。アポリネールがあの詩を書いた頃はこういうものはなく、セーヌの岸べもまだ石の補岩ではなく、土手であったはずだ。そういうミラボー橋でなければ、あの詩*はふさわしくあるまい。
橋から上手に「自由の女神」の立像が輝くというよりは白くまぶしく霞んでいた。夏の熱い光りのなかに。
<ノート「パリ 1980」>
*アポリネール「ミラボー橋」

「エスプリ・ヌーボー」の提唱者であったアポリネールがこれを見たらどう思うことだろう。このセメント工場もビルの群立も、第二次大戦後もかなりたって後のことであろう。アポリネールがあの詩を書いた頃はこういうものはなく、セーヌの岸べもまだ石の補岩ではなく、土手であったはずだ。そういうミラボー橋でなければ、あの詩*はふさわしくあるまい。
橋から上手に「自由の女神」の立像が輝くというよりは白くまぶしく霞んでいた。夏の熱い光りのなかに。
<ノート「パリ 1980」>
*アポリネール「ミラボー橋」

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