─再会─
モンパルナスのレストラン
大島博光
この夏、またパリに行った。このまえの時はモンパルナスの駅前のシェラトンホテルに泊ったが、今度の宿はエッフェル塔のそばのホテル・サフランであった。しかし、やはりモンパルナスが懐しくて、ノートルダムからサンミッシェル大通りを歩いて、ルクサンブール公園をぬけモンパルナスへでた。 ルクサンブール公園の正門からでて、まもなく右手にモンパルナス大通りがひらけている。その角のところにクローズドリ・リラというカフェがある。ここは、古くはボードレールがよく通った店であり、若き日のアラゴンたちもよく通っていたらしい。モロッコ戦争たけなわの1925年頃のある日、このカフェの二階の窓から、タキシードを着た一人の若者が身をのりだして「モロッコ戦争反対!」と叫んでいた。それをみていた一人のロシア女性がいた。これがエルザで、そのとき彼女は初めてアラゴンをみたのだった。・・・そのカフェも夏の夕陽のなかにあまり客もなく静まりかえっていた。ていていとそびえた街路樹の並ぶ大通りを歩いていくと、右手の辻公園のようなところに例のロダンの「寝巻き姿のバルザック」が立っている。大通りをへだててそこに有名な大きなカフェ「クウポール」がある。この店でアラゴンとエルザは結ばれることになる。ところがこの店は去年もそうだったが、今年もまた改装中でペンキを塗りかえたりしていた。となりのカフェ「ドーム」の角から左へ小路をはいったところにある小さなレストランを訪ねていった。この店は「ル・ブルボンネ」という名前で、去年の夏よく通ったのでまた寄ってみた。三十才ぐらいのウェイトレスが私を思いだしてくれて「このジャポネはまたやってきたよ」というようにニコニコ笑って歓迎してくれた。この店のサラダは8フランでサーモンと卵入りで、それだけで満腹になるようだった。この辺りにエルザの住んでいたホテル「イストリア」があったはずだ。
<掲載誌不詳>
モンパルナスのレストラン
大島博光
この夏、またパリに行った。このまえの時はモンパルナスの駅前のシェラトンホテルに泊ったが、今度の宿はエッフェル塔のそばのホテル・サフランであった。しかし、やはりモンパルナスが懐しくて、ノートルダムからサンミッシェル大通りを歩いて、ルクサンブール公園をぬけモンパルナスへでた。 ルクサンブール公園の正門からでて、まもなく右手にモンパルナス大通りがひらけている。その角のところにクローズドリ・リラというカフェがある。ここは、古くはボードレールがよく通った店であり、若き日のアラゴンたちもよく通っていたらしい。モロッコ戦争たけなわの1925年頃のある日、このカフェの二階の窓から、タキシードを着た一人の若者が身をのりだして「モロッコ戦争反対!」と叫んでいた。それをみていた一人のロシア女性がいた。これがエルザで、そのとき彼女は初めてアラゴンをみたのだった。・・・そのカフェも夏の夕陽のなかにあまり客もなく静まりかえっていた。ていていとそびえた街路樹の並ぶ大通りを歩いていくと、右手の辻公園のようなところに例のロダンの「寝巻き姿のバルザック」が立っている。大通りをへだててそこに有名な大きなカフェ「クウポール」がある。この店でアラゴンとエルザは結ばれることになる。ところがこの店は去年もそうだったが、今年もまた改装中でペンキを塗りかえたりしていた。となりのカフェ「ドーム」の角から左へ小路をはいったところにある小さなレストランを訪ねていった。この店は「ル・ブルボンネ」という名前で、去年の夏よく通ったのでまた寄ってみた。三十才ぐらいのウェイトレスが私を思いだしてくれて「このジャポネはまたやってきたよ」というようにニコニコ笑って歓迎してくれた。この店のサラダは8フランでサーモンと卵入りで、それだけで満腹になるようだった。この辺りにエルザの住んでいたホテル「イストリア」があったはずだ。
<掲載誌不詳>
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