千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。


・アラゴンとの再会

 一九四二年の末頃、抵抗詩人として有名になったエリュアールは、敵の追及をのがれるために地下にもぐる。シャペル街の住居を離れて、エリュアールとニューシュはリュクサンブール公園に近いトゥルノン街に匿名で住む。ほかにジャン・タルディウなど数人の友人の家が隠れ家となった。地下にもぐった彼は、非合法出版の作製と配布に専念する。また占領地帯──北部地帯に「全国作家委員会」を創設するために、対独協力を拒否している作家・詩人たちと連
絡をとり、その糾合につとめる。

 この「全国作家委員会」は、アラゴン、エルザ・トリオレ、ジャン・ポーラン等の発案で、まず南部地帯に創設されたものである。当時、ニースに滞在して活動していたアラゴンは、南部地帯と北部地帯における「全国作家委員会」の活動を統一し強化するために、一九四三年の初め、パリに出てエリュアールと話しあおうと決意する。二人はもう十年来、会っていなかった。長い絶交のあとの最初の再会について、アラゴンは書いている。
 「木の葉や人びとを吹き散らす風は、一九三〇年代、われわれのあいだを引き裂いた。この歴史(ものがたり)はひとりわれわれの歴史(ものがたり)にとどまらず、それは『歴史』だった。われわれをひき離したものは、ついに、永久に、ふたたびわれわれを結びつけずにはおかなかった……。
 一九四三年の初めだった。われわれはリヨン駅で初めて再会した。エルザとわたしは南部地帯から偽の通行証をもって到着する。ビエル・ヴィヨンと仕事で会うために。なんとそこに、夜のほの暗い光のなかに、彼ら二人が花束をもっているではないか。ニューシュとポールが。まるで当りまえのように。そしてニューシュのつくったケーキ。ああ、ポールよ、どうしてあんなに長いこと会わずにいたのだろう。まったく失われた時間だ、あの数年は……」(『共産主義的人間』第二卷)
 まことに「われわれをひき離したもの」──状況の詩、革命、共産主義は、ふたたび二人の詩人を兄弟として、同志として結びつけたのである。
(この項おわり)

新日本新書『エリュアール』

若葉