千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。



  絶望したものたちがみなそこに身投げする……

 という詩句も、エルザの深い眼によって、深い教えによって、絶望した者が、絶望を克服する、というほどの意味であろう。この絶望した者とは、アラゴンじしんでもある。この詩句は、『未完の物語』のつぎの詩句にも通じているだろう。

  おまえはおれの肉から 刺(とげ)を抜くように 絶望を抜きとってくれた

 そしてまた、「飛ぶ鳥」や「雲」や「風」は、ドイツ軍とその爆撃機や、ヴィシー政府をも意味しており、エルザの眼は「空」とも歌われ、「青い海」とも歌われる。青空にかかる悲しみの影は風も吹き払えぬとは、エルザの青い眼に浮んだ、悲痛の影は、どんな敵の嵐も奪いとることはできないということを歌っている。むろんこのような意味だけに還元してしまったのでは、詩の魅力は消えてしまう。「飛ぶ鳥たちの影で暗くかげる青い海」なども、詩の影像としての美しさそのものでも自立しているのである。

  おれは 流れ星の網に つかまったのだ

 の「流れ星」は、眼のなかをよぎる微妙な光やその魅力を歌ったもので、『未完の物語』のなかの少年時代をうたった詩にもそれが出てくる。

  彼女の眼のまわりには金色のそばかすがあって
  「千一夜物語」からでも聞こえてくるような声をしていた
  「あのトルコ女の処でおまえはいつも何んしてるの?」

  マリーはわたしに尋ねたが わたしは流れ星だとか
  霧雨のなかに見える虹だとかを 持ち出さずに
  どうしてうまくかの女に 答えられたろう

 最後の章節における、壮大なイメージの美しさは無類のものである。おそらくここには、ダンケルクで九死に一生を得たときの、詩人の体験がそのまま歌われているのであろう。
(つづく)

(『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』)

海