千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。


新運載 フランス・レジスタンスの詩(1)

ラーベンス・ブリュックの受難
                  ミシュリーヌ・モーレル 大島博光·訳

(ミシュリーヌ・モーレルは、一九四三年六月一九日、ドイツ軍に逮捕され、一九四三年八月二九日、ラーベンス・ブリュックに連行された。一九四五年五月二二日、彼女は祖国に送還された。)

(一九五○年 復活祭前の月曜日 ヨハン・セバスチアン・バッハの『マタイ受難曲』を聞いたのちに)

おお神さま わたしはひと言 申しあげたいのです
もしもそれが 聞くに堪えがたいものでしたら
おゆるしください
なぜなら これからわたしがおはなしすることは
ほんとに堪えがたいことだったのです

「イエスの受難」をききました
イエスは 数日 苦しんで 死にました
それ以来 イエスはもう苦しまないのです

ではお話しましょう
女たちの話です
そこには 男たちもいましたが
でも わたしは 女たちの話をいたしましょう
女たちの方をいちばんよく知っているからです

女たちは 数千人もいました
みんなめいめい事情がちがっていました

わたしが 彼女たちを知ったとき
彼女たちは みんな辱かしめられ なぐられ
頭や顔や からだじゅう ぶたれて
とうとう血を流し
髪の毛は 手で鷲づかみにされて引き抜かれ
手は ねじ曲げられて
ときには 燃えてる火で焼かれさえしたのです

この女たちは きっと
神さまの娘ではなく
マリア様の子供たちでもなかったのです
彼女たちは「神の王国」に賭けずに
じぶんの祖国や党のために働き
また 彼女たちの夫のために働いたのです
彼女たちは 男友達を助け
人びとのことを考え 彼らのために働いたのです
人びとは責任を負わず 手をこまねいていました
そうして彼女たちは 数ヶ月来年獄にぶちこまれ
母親や兄弟から遠くはなれ
子供や夫から遠くはなれて
牢獄のなかにいたのです
もう数ケ月も前から

兵隊どもがやってきて
彼女たちを呼び集めて 外へ出し
駅の方に 羊の群のように追いやり
家畜用の貨車のなかに 押し込みました
貨車は 北の方にむかって
まる二日も 三日の余も 走りつづけたのです
立ったまま すし詰めにされた 女たちを乗せて
水もパンもなく 空気も変えられず
若い女も 老婆も 病人も 妊婦もいました
あんまりぎゅうぎゅう 詰めこまれたので
いくたりかはもう 貨車のなかで死んでしまいました
死体は ほかのものといっしょに
まだ苦しみに耐えている 生きている女たちの足もとに
そのまま放って置かれました

やっと貨車がとまって 開けられると
女たちは おろされました
兵隊は 彼女たちの顔をひっぱたき
雑言を浴びせて 辱かしめ
鞄や 仲間の死体を背負った女たちを
鞭をふるって 路上に追いやりました
彼女たちは 石につまずいてよろめき
大勢のものが倒れました

こうして 女たちはラーベンスブリュックという処に着いたのです
巨きな玄関が 彼女たちの前に口を開けていました
彼女たちは 五列になって中にはいり
最後の列がはいり終わると 扉は閉ざされ
もう二度と ひらかれなかったのです

死んだ女たちは 焼かれました
生きてる女たちは ひどい言葉でからかわれ ののしられ
服をはぎとられ 髪を短く刈られて
別人のように 着換えさせられたのです
それから 女たちは 仕事に駆りたてられました
土を掘ったり 壁を築いたり
石をはこんだり 梁(はり)をはこんだり
十二時間ぶっとおしで

女たちは 悪口を浴び ひっぱたかれました
シャベルでぶたれ 石でなぐられ
長靴でぶたれ むちでひっぱたかれ

彼女たちが 働くのをやめようものなら
看守たちは 彼女たちに犬をけしかけたのです
この女たちは 食卓につくことは一度もなかったのです
毎日 水っぽいスープ二杯と ひと切れのパンと
それだけでした

この女たちは 火にあたって 暖をとることもなかったのです
いつも 外で 働いていたからです
あるいは 懲罰をうけて
何時間ものあいだ 靴もはかず
外套(マント)もなしに じっと立っていたのです

そしてラーべンスブリュックは ガリラヤにあるのではなく
北ドイツにあるのです
女たちが病気になっても
癒(いや)してくれるものは誰もいませんでした
中風にかかった女たちは ガス室に送られて焼かれ
死んだ女たちも 焼かれました

そして死ななかった女たちは
十二時間ぶっとおしに 働きつづけたのです
傷だらけ 汚物だらけで
毎日 怒鳴られ ひっぱたかれ
一日に 何回もぶっ倒れながら

毎日 多くの女が死にました
すると ほかの女たちが 死んだ女から服をはぎとり
死体を かまどまで運びました
そんなことが三時間や三日や四十日間ではなく
何ケ月も何年もつづいたのです
そして数年……

とうとう 兵隊が 死ななかった女たちを
釈放しにやってきました
その兵隊どもは 女たちを手ごめにして犯したのです

それから わずかばかりのパンをあたえて
女たちを祖国へ送り還えしました

女たちが帰ってみると 祖国は荒れはてていました
家家は崩れ 落ち空っぽになり
子供たちは散りぢりになったり 死んだり
冷淡になっていたり
夫たちは ほかの女といっしょになっていました
夫は 彼女たちを追いはらったり 見捨てたのです
こうして 祖国においても 異国においても
この女たちがもっていたものといえば
自分の病んだ体と 弱さと 記憶だったのです

聖金曜日の九時に
イエスは死んでもう苦しみはないのです

しかしこの女たちは 神さま
きょうもまだ 苦しんでいるのです
いまなお飢えに苦しみ 寒さに顫え
捨てられて 泣いているのです

この女たちは 神さま あなたの前にひざまずいて
あなたの右側に座っている
栄光にかがやくイエスを見つめています

そうしてこの女たちは イエスがあなたに叫んだと
おんなじことばを叫ぶのです
神さま なぜにわたしをお見捨てになるのです?

これが わたしの申しあげたかったことです
神さま

(『詩学』〈フランス・レジスタンスの詩〉1975年2月)

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