フランスの起床ラッパLa Diane Française: Louis Arag

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千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。




えるざ


(『フランスの起床ラッパ』)

 また、地下生活のきびしさは、しかし詩人につぎのような美しい詩をも書かせている。
 ・・・
 ここでは閉ざされた小宇宙がうたわれているが、そこにも絶えず外部世界が侵入し、映し出されている。エルザの身ぶりひとつひとつが、たたかいと希望とに結びつけられている。鏡のなかに、はるかに、英雄たちとその闘いの映像をくりひろげるという手法は、この詩をいっそう深いものにしている。「鏡」と「火」という二つの映像は、その後もアラゴンの愛の詩にしばしばあらわれてくる。
(『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』)




パリ


 ついに解放の希いはかなえられてパリは解放される。一九四四年八月二十四日、暑い夜の十一時ごろ、突然、狂ったようにノートル・ダムの大鐘が鳴り出した。それにこたえるように、対岸のサン・ジェルヴェ寺院の鐘が鳴りだし、つづいてパリじゅうの鐘という鐘が鳴りだした。またたく星空の下、燈火のない暗いパリは夢のような歓喜の大合奏につつまれた。市民は外に飛びだし、街や大通りを埋めた。──自由になったぞ!
 アラゴンは解放の歓びをつぎのように歌う。(新日本新書『アラゴン』)

朗読家の西島史子さんがアラゴン「フランスの起床ラッパへの序曲」を朗読されていました。



<2010年11月3日に開かれた大島博光生誕100年記念のつどい(松代文化ホール)でのライブ録音>

フランスの起床ラッパ


 栄光あれ      ルイ・アラゴン

栄光あれ
祖国を裏切ろうとしなかったものたち
身を売ろうとはしなかったものたち
祖国の色をした若者たち
燃える心を灰のしたにかくして
いもりのかくれ家を 炎のなかに
   もとめた

わたしらの美しい友はどこにいる
この冬のなか あの若者たちはどこにいる
さびしく残った娘たちはつぶやく
やがてまた わたしたちに歌ってくれるため
あのひとたちは いま声をひそめ 身をひそめてるのだ
   あのひとたちの流儀で

母親は耳をかたむけ そっとため息をもらす
万一のことがなければよいが 気にかかる
あの子たちは何もなく 苦労してるにちがいない
売るものは足りるだろうか
うちから出かけていったときは
   妙に天気は暖かったが

しずまりかえった祖国よ 忍ぶような空よ
わたしは 子供らの身をおもう
あの子たちはどこか あばらやのなかで眠り
明けがたともなれば寒いだろう
つめたい風が容赦なく吹きこみ
   焚き火も消えるだろう

しかも家に残っているあるひとたちは
じっと地平線を見つめながら
戸棚によりかかって ぬくぬくと夢みている
たたかうひとや この恐ろしい季節を
敵の庁候や災難や裏切りを
   おそれはばからずに

裏切りは太鼓をうち鳴らし
義務をののしりちらし
そして敵のお仕着せを着て
白を黒と言い 愛を罪と呼び
汚辱を名誉と呼び 昼であるのに
   夜だと言う

だがわれらの息子たちは外敵を信じなかった
外敵の軍馬の その黒い馬具となるよりは
かれらはすすんで危険をえらんだのだ
そうして 雪が降りしきるとき
思え 思いみよ 雪のなかの
   あの若者たちを

フランスよ おんみの長子権をとりもどせ
おんみの息子たちの不屈さに
世界はおんみを見なおすのだ
フランスよ おんみは伝説のようによみがえる
おんみの若者たちの勝ちほこる
   その腕のなかに

われらはうち敗れたのか いやいや
あの「帝国」やコルシカのように
われらの国土は征服されはしなかった
われらの愛 われらの力
愛国者たちに 栄光あれ
   マキに栄光あれ

*1(訳注)コルシカ島は一七六八年ジェノアからフランスに売られた。
*2(訳注)コルシカの密林、密林にかくれるものの意。抵抗運動のパルチザンはマキと呼ばれた。

(『フランスの起床ラッパ』)


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見捨てられた女


(新日本文庫『フランスの起床ラッパ』)

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鏡のまえのエルザ



(『フランスの起床ラッパ』)


ナチ殉難者の像
ナチ殉難者の像(ペール・ラシェーズ墓地)



リヨン



(アラゴン詩集『フランスの起床ラッパ』新日本文庫1980年6月)

夜





未完の


(アラゴン詩集『フランスの起床ラッパ』新日本文庫1980年6月)

蝶



 フランスの歌     ルイ・アラゴン

わが大いなる都(まち)に またわたしは帰ってゆこう
そこにも 毎日それぞれの空模様があるだろう

空はいつものように 優しく晴れているだろう
だが 道ゆく人びとは つんぼのような顔をしているだろう

もしも一台のオルガンももう泣かないのなら
もしも鳩たちの鉛が ずっしりと重くなるのなら

どんな黒い秘密が あのざわめきをひき起すのだろう
なんと長い夜よるがもう愛をささやかないことだろう

なんという静けさだろう 自分の心臓の音がきこえるようだ
まるで中庭で歌をうたって もの乞いする男のように

いったいだれが 辻辻(つじつじ)にかかげたのだろう
異国の運転手のために 異国の言葉など

はじける砲火が 都(まち)の高みを 花と飾り
虚偽 欺瞞が わが「塔」に 住みつく

不幸な時代の いつわりの道化師は
熊の穴のなかで 手品をするふりをする

またあの いかきま師どもは バターの手をしていて
太鼓が鳴ると その手から弾丸(たま)が落っこちる

わたしは泥棒を見つけた だが どこにいるのか 救い手は
その勇気のゆえに 永遠に偉大な わが人民は

そこ 大いなる都(まち)に わが人民はいて
夜明けを待たずに立ち上がった.

(『フランスの起床ラッパ』)

フランスの起床ラッパ
 アラゴンの『詩法』にふれて
 
    ──新しい歌の高鳴りについて           大島博光

 『フランスの起床喇叭』の序文のなかで、アラゴンはヒュマニズムと革命的愛国主義にみちみちた一瞥を、祖国フランスとその民族史のうえに投げたのち、つぎのように書いている。
 「これが故国だつたと、ただ口さきで言つたり、大馨で否定したりしたひとびとから、誰が故国を考ええたろう? 祖国への冒涜や権謀術数などによつて、誰があの祖国と呼ばれるずつしりと重い意識に近ずくことができたろう? 突風が吹き起つて、もろもろの思想を枯葉のように吹きとばし、硬ばつた仮面をむしりとり、ついに長いあいだ隠されていた殉難者の素顔をそこに見出すようなとき、誰が祖国の呼び声をききとらぬばならなかつたか……
 さていまや、すべては思い出でも傳説でもなかった。苦難の底から、ふたたび栄光が──諸君の呼びたい名まえでいえば、あの太陽が、あの酒が、立ち現れた。……栄光は肉と血をもつ人間より成り、ひとびとのさなかさなかに立ち上る。かくてひとびとの眼のまえに、忘れられていた巨人たちが立ち現れたのだ。……異国の歩哨が見張つている停車場のなかへ、リュクサクを背負い、鋲のついた頑丈な靴をはいた若者たちがはいつてゆく。……夜、怪しい血の痕が光りに鈍く照らされていた。ひとの住まない家々が増えていつた。……
 それはまさに百鬼夜行であつた。……百千の冒険の時代であつた。脅迫と恐怖を秘めないような影とてはひとつもなく、むごたらしい場面を照らし出さないような光りとては、ひとつもなかつた。……だがいたるところ、大膽不敵なひとびとが立ち上つた。殉難やヒロイズムのなかに、突如として身を投げいれたひとびとのうちのひとりとして、祖国の労働者のひとりとして、その運命のまえに身じろぎもしなかつた、身を退きもしなかつた。普通平凡なフランス人がヘラクレスになつた。……わが祖国の砂を染めた血の痕を見たら、オツサの山にぺリオンの山を積み重ねた巨人たちも顔色を変えたにちがいない……
 そのとき、われわれはわれわれの流儀で、馨低く歌つた。そつとつぶやかれた繰返しが、口から口へ伝えられた。とある街の歩道で通行人がふと吹き鳴らす、心に泌みる歌をきくと、こんどは諸君が行きちがいの男に、知らず知らずにその歌を伝え、その男はその歌をまた遠くへ運んでゆく。
 われらの歌は変えられ、つけ加えられて、大きくふくれあがつた。民衆は何んという無限のこだまを秘めていることか、何んという神秘を! われらの歌は歌うともなく唇にのぼつてきた。わが國は、断崖にうち寄せるときの海のように、港の前で揺れる船のように、低く深くどよもした。わが國は世界の歌そのものとなつた。──すべての希望と絶望とを要約し、しかも自然と人間そのものを克服しようとする人間の意志でふくれあがつた音楽となつた。わが国は光りの射す方へと辿り、あけぼのを予感し、あけぼのは闘いであり、血と涙こそがあけぼのの蒼白い光りを輝かせるのだということを知つていた。歌うわが国は光りに近ずきつつあつた!
 そのときだ、フランスの起床喇叭が鳴りひびいたのは。」

 ナチの嵐にむかつて、嵐のなかで、フランスの詩人と民衆がどのように歌つたかが、この短かい文章からもよくうかがえると思う。「そつとつぶやかれたルフラン」、口から口へ伝えられた歌、「歌うわが國……」──これらの言葉は、たんに当時の状勢を詩的に物語るために使われているのではなく、詩人も民衆も、じつさいに「歌」をつくりだし、歌によつてひとびとが励まされ、結びつけられ、立ち上つたことを示している。そうしてアラゴンはみずから、この「歌」をつくりだすために、古い十二綴音格や、八脚音格や、中世的伝統の十綴音格の定型を、全く新しく磨き直し、新しい脚韻を試み、フランスの詩的伝統のシュルレアリストが、祖国フランスとその民族解放の時代に、「自由詩の専制」よりは「定型の自由」を選び、自由詩における「行別にする或る種のしかたは、人間にとつて、その帽子やズボンの皺ほどにも根本的だとは思われない。」と言つている。
 彼は『詩法』という詩のなかでも、言葉や脚韻についてつぎのように歌つている。

  「五月」の死者たち わが友らのために
  いまよりは ただ 彼らのために

  わたしの詩韻が あの武器のうえに
  流される涙のような魅力をもつてくれるように


  そうして吹く風とともに変る
  生けるひとびとのために

  わたしの詩韻が 死者たちの名において
  悔恨の白い刃を研ぎすましてくれるように

  絡みあう言葉たち 傷ついた言葉たち
  そこで罪人が叫びだすような詩韻

  言葉は 詩韻は 悲劇のさなかで
  水をうつ櫓のように二重の響きを奏でる

  平凡な言葉よ 詩韻よ 雨のように
  かがやく窓硝子のように

  ふと行きずりに見る鏡のように
  胴着のなかの萎れた花のように

  輪を廻して遊ぶ子供たちのように
  小川のなかにきらめく月のように

  戸棚のなかのねなしかずらのように
  思い出のなかのひとつの匂いのように

  詩韻よ 詩韻よ そこにわたしは
  高鳴る赤い血のぬくみを聴く

  思い出させてくれ われらもまた
  ひとびとのように猛々しいのだと

  そうしてわれらの心の崩折れるとき
  忘却からわれらを呼び覺ましてくれ

  虚ろな火屋が音立てる
  消えたランプに火を點してくれ

  わたしは歌う いつもいつまでも
  「五月」の死者たち わが友らのなかで

 ナチの嵐と悲劇のさなかにおいて、歌う武器としての詩について、その言葉と韻について、このようにうつくしく歌われた詩は、またそのまま偉大な「五月」の死者たちに捧げられているのであり、いな、「五月」の死者たちの英雄的な死とそのはげましと思い出のゆえにこそ、詩人はいよいよ「悔恨の白い刃を研ぎすます」ために、その詩法を磨くのである。
 この「五月」は、抵抗の英雄ポリッツェ、ドクウル、サロモン等がモン・ヴァレリアンで仆れたあの一九四二年の怖るべき五月を意味している。もつとも、詩人は敵の眼をくらますために、大戦初期における一九四〇年五月の死者たちとも受けとれるように書いており、さらにまた一八七一年のパリ・コンミュンの五月をもふくめているわけである。ここに、歴史的事實にたいする、ふくみに富んだ詩的表現の問題がある。

(『角笛』1号 1950.9)

アラゴンとフランスの起床ラッパ

<『前衛』1989年11月号>

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