詩「早鐘が鳴ったら」の冒頭からとっています。
おれは 空の麻袋をかついで
飲まず食わずに 街道すじを
ほっつき歩く 宿なしの仲間だ
働いても 搾りとられてすかんぴん
そしてむかしの だれかのように
行きだおれて のたれ死にするのだ
それでも 奴隷暮らしよりはましさ
安酒にでもありつけば 酔っぱらって
風の吹く野っぱらの 野草のうえで
こおろぎといっしょに 眠るのだ
垢だらけの顔を赤いタ日に染めて
だがいつか 早鐘の鳴るのを聞いたら
おれもしゃんとなって 駆けつけるのだ
みんなといっしょに あけぼのの方へ
(『橋』21号 1988.3、 詩集『冬の歌』)
浮浪ぐらしをしていても
いざ事がおきれば
パリのガブローシュのように駆けつけて
いっしょに闘うぞ──
明日もまた日は昇る
大島博光
明日もまた日は昇る
そう詩人は死の時を想いながらも
よみがえりを願い 希望を託した
明日もまた日は昇る
人びとは高い山の頂上で ご来光を迎え
海に沈む太陽の荘厳に手を合わせた
明日もまた日は昇る
人びとは生まれ変わりを祈り
そうして明日の日を夢みる
何十億年 何百億年
人間の尺度では 永遠に
日はまた昇るだろう
だが核戦争や自然破壊や汚染で
もしも この地球が死んでしまったら
この地球に人類がいなくなったら
それでも日はまた昇るだろう
だが太陽を神とするものはもういないだろう
だが太陽を賛えうたう詩人はもういないだろう
それでも日はまた昇るだろう
人類のいなくなった地球のうえにも
廃墟となった死の地球のうえにも
そんな風にならないように
太陽のすばらしさ暖かさに
人類が歓声をあげて生き永らえるように
一九九一年四月

思い出そう 戦後最初のメーデーを
はためく旗を かがやく顔を
腕をくんで歌った誇らかさ
あの五月の朝の晴れやかさ
思い出そう 六〇年安保を
国会議事堂をとりまいた
人民の怒りのうねりを 渦を
そのときそこにわたしもいた
長い旅だから身がるがいい
あとの水をにごさないように
できるなら その水のうえに
風の足跡を残してゆきたい
はためく旗を かがやく顔を
腕をくんで歌った誇らかさ
あの五月の朝の晴れやかさ
思い出そう 六〇年安保を
国会議事堂をとりまいた
人民の怒りのうねりを 渦を
そのときそこにわたしもいた
長い旅だから身がるがいい
あとの水をにごさないように
できるなら その水のうえに
風の足跡を残してゆきたい
戦後最初のメーデーのわきあがるような晴れやかさと六〇年安保闘争の国会行動の熱気を毛筆文で書いています。
最後の連もふくめて詩「旅支度」からとっています。