ベトナム詩集 Translated poems of Vietnam

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千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。





ぼくの二つの手



(『ベトナム詩集』飯塚書店 1968年)

子ども


 詩人略歷

テー・ハイン
 一九二一年、南ベトナムのクワンガイに生まれる。フランスにたいする抗戦に参加、そのなかで、彼の詩は深みとひろがりとを獲得する。純素朴で、センシブルな詩で、彼は祖国愛をうたっている。

グエン・スオン・サイン
 一九六五年ベトナム文学芸術連合会国際委員会主任。ベトナム運営委員会委員。ベトナム作家協会国際委員会主任。

トー・フー
 一九二○年中部ベトナムのフエに生まれる。フエの高校生の頃、すでに「インドシナ民主戦線」の機関紙に詩を発表。一九三九年に逮捕され、一九四二年に脱獄。中部ベトナムではげしい革命活動。一九四五年八月のベトナム革命の時には、フエ決起委員会委員長となり、一九五一年にはベトナム労働党中央委員となる。
 ベトナムの現代詩における、トー・フーの位置を理解するためには、第二次大戦前の数年にさかのぼらねばならない。一九三〇年の民族的蜂起の失敗、うちつづく大弾圧、そのために、ベトナム知識人の多くは深い悲観主義にとらわれる。文学は、逃避的なロマンチシズムの傾向に向う。一連の詩人たちは神秘主義者となる。
 こういう知識人の状況のなかで、非合法出版の雑誌に、まったく新しいひびきをもった詩が現われた。そこには、高級な読者をよろこばせる形式上の進歩と同時に、民族的人民的な詩の伝統が見いだされた。そこには、祖国と人民にかたく結びついた詩人の、熱烈な魂が反映していた。そればかりではなく、さらに、勝利の確信をもたらし、未来をきりひらく新しい政治思想が、詩によって展開されていた。
 長い闘争生活、地下生活のあいだ、トー・フーは人民──とりわけ農民と深くむすびついて生活した。こうして、トー・フーは、近代的・革命的な内容と、洗練された大衆性をもった、民族的な詩の伝統とを、みごとに統一し、調和させることができた。かれの詩は、人民のなかで、すでに古典のように、ひろく愛誦されている。
 トー・フーは、まことにベトナム革命の詩人となった。

スオン・ジウ
 一九一七年、北ベトナムのハチンに生まれた。革命前には、個人主義的で、ロマンチックな傾向をもった「新しい詩」運動の指導者の一人であった。一九四五年、彼は「祖国の旗」という詩をかいて、民族解放革命を熱情をこめてたたえた。それ以来、彼はいくつもの詩集で、人民の生活と、祖国の大きな変化とを表現している。詩集には、『詩集』(一九三八年)、『風かおる』(一九四五年)、『祖国の旗『(一九四五年)、『星』(一九五五年)、『個人と集団』(一九六○年)などがある。

タイン・ハイ
 革命後の世代にぞくしている。現に南ベトナムで活動しており、その戦闘的な詩は南ベトナムの解放区ばかりでなく、全ベトナムで歓迎されている。

グエン・ディン・テー
 一九三四年生れ。革命と抗戦によって育てられた世代の詩人。反ファシズム闘争の数年間、グエン・ディン・テーは、蜂起をよびかけた革命歌の匿名詩人であった。抗戦中、解放軍の軍事委員、人民軍戦士の生活を主題として、新しい抒情詩を開拓した。小説も書く。ベトナム作家協会の委員長。

ルー・チョン・ル
 一九一一年生れ。革命前、すでに「新詩」運動で有名であった。革命後、かれはさらにレアリズムの詩を書きつづけている。

ジャン・ナム
 南ベトナム解放民族戦線解放文芸協会中央委員。小説も書く。南ベトナムでもっとも活躍している詩人。

アイン・トー
 女流詩人。一九二一年、北ベトナムの小さな町、ハイデュオンに生まれる。彼女は革命前に、ロマンチックな傾向をもった詩集『田舎の風景』を出版した。
 革命後、彼女は長篇詩『ビュラン村の女』を出し、さいきん『鳩のつばさで』(一九六○年)を出した。

チャン・フー・トン
 一九二六年生れ。中部ベトナムの農民出身。革命後の世代の若い詩人たちのひとり。主として農民の生活をうたう。詩集に『八月の鈴』がある。

フィ・カン
 一九一九年、北ベトナムのファチンに生まれる。最初の詩集『聖火』(一九四○年) の大成功によって、ロマン的傾向の「新詩運動」の指導者のひとりとなる。一九四二年より、民族解放闘争に参加、一九四五年八月、民族解放国民委員会委員にえらばれ、現在、ベトナム文化部副部長。詩集に『空は日に日に明るくなる』(一九五八年)、『大地は花咲く』(一九六○年)などがある。

ホー・チ・ミン
 一八九○年生れ。若くしてベトナム解放運動に参加。フランス行きの船の皿洗いをして、パリーに行く。いろいろな仕事をして、パリーで数年を過す。フランスの社会党に入党して、植民地人民のために活発に活動する。一九二○年、ツール大会に代表として出席、「第三インターナショル」とフランス共産党の創立を支持する。
 一九二五年に、ベトナム革命青年同盟をつくり、一九三○年に、インドシナ共産党を創立する。同時に、第三インターナショナルの指導の下に活動、フランス官憲によって、十数年のあいだ追跡されたが、それを逃れる。彼はベトナム最初の共産主義的戦士を育てあげる。これらの戦士たちは、英雄主義と良識をもって、のちにベトナム革命を指導する。彼は初めて、ベトナムにマルクス主義の基礎をすえ、マルクス主義の光りに照して、ベトナムの民族解放と社会解放の道を分折した。
 一九三○年の蜂起失敗の後、植民地主義者の弾圧によって、ベトナムのブルジョワ政党及び小ブルジョワ政党が崩壊したので、民族運動の指導は共産党にゆだねられた。というのは、共産党だけが、この弾圧時代を、うまくきり抜けたからである。第二次大戦中、ホー・チ・ミンは、日本のファシスト軍と植民地主義に対して闘うため、ベトミン民族戦線を結成した。
 一九四五年十一月の民族的蜂起が成功した結果、ベトナム民主共和国が建設され、ホー・チ・ミンはその大統領にえらばれた。彼は、フランスとの友好政策を追求したが、フランスの右翼は、この若い民主共和国を圧服するのはやさしいと思いこんで、一九四五年来、戦争を始めた。この戦争は九年間つづいた。ディエンビエンフーの敗北の後、一九五四年七月、フランスは、ホー・チ・ミン政府と休戦条約を結んだ。アメリカの干渉によって重大な脅威にさらされた平和を救うため、ベトナム民主共和国は、国を一時的に、南北二つ に分けることを受諾した。一九五六年に行われる総選挙によって、ベトナムは統一されるはずであった。
 しかし不幸にも、南ベトナムにたいするアメリカの干渉によって、総選挙を行うことはできなかった。
 ベトナム人民は、その愛国闘争の長い経歴のためばかりでなく、彼が祖国の過去と未来とを一身に具現しているゆえに、ホー・チ・ミン大統領を敬愛している。彼は、ベトナムにマルクス主義をもたらした最初の人であると同時に、むかしの古い文字の伝統をもちつづけている最後のひとびとのひとりである。彼は、共産党を創立し、ベトナム最初の独立政府をつくり、人民の軍隊をつくった。しかし同時に、彼はまた現代ベトナムの最大の詩人、散文家のひとりである。ひろい教養を身につけた彼は、現代ベトナム語とおなじほど容易に、古典的な中国語を駆使し、フランス語、中国語、英語、ロシヤ語をすらすらと話すことができる。彼に接したひとたちを感動させるのは、とりわけ彼の偉大な人間性であり、彼の偉大なヒュマニズムである。ベトナム人民にとって、ホー・チ・ミンは、近代的な闘士の典型であると同時に、古風な賢者なのである。
 ホー・チ・ミンの名で知られる前まで、彼は長いことグェン・エ・クオック(日本風に訳せば、「愛国太郎」)という名でたたかっていた。
 一九四二年、彼が中国に滞在して、そこから反ファシズム闘争を指導していたとき、彼は、将介石の警察に逮捕され、一年あまり投獄された。そのあいだに、彼は『獄中日記』を書いたのである。

ホアン・ロック
 人民軍の指揮者で戦死した。ひじょうに感動的な詩をのこした。

バン・タイ・ドアン
 少数民族マン族出身の詩人。貧しい農民の子として生まれる。若くして解放軍に参加し、北ベトナムの山岳地帯で日本軍とたたかった。この戦闘のなかで、かれはマン族の言葉で詩を書きはじめた。郷土色ゆたかな彼の詩は、たちまち大衆の愛誦するところとなった。詩集『ホーおじさんの塩』がある。

ノン・クオック・チャン
 一九二三年生れ。少数民族タイイ族出身。若くして革命運動に参加、日本軍の占領中は、北ベトナム地方でゲリラ隊員として闘う。詩「村へ帰える」は一九五一年の世界青年友好祭で入賞した。詩集に『戦う北ベトナム』、『北ベトナムのひとびとの歌ごえ』、『花咲く山のひとびと』などがある。

ホアン・チュン・トン
 一九二二年に生まれる。一九六五年ベトナム作家協会運営委員会委員。作家協会機関誌『文芸』編集委員会書記。

チェ・ラン・ビィエン
 一九二○年、中部ベトナムのクワントリに生まれる。十六歳で出した最初の詩集『廃墟』で、一躍詩名を馳せる。抗戦中は、ジャーナリスト、報道者として活動。最近は、祖国の新しい生活をうたっている。『廃墟』 (一九三六年)、『わが兄弟 きみたちに』(一九五六年)『光りと新生地』(一九六○年)などがある。

(『ベトナム詩集』飯塚書店 1968年)

ベトナム
1965年に、米軍は南ベトナム中部のダナンへ海兵隊を上陸させた。緊迫する情勢下で軍への入隊を迎えた若者たち
1966年 ハーナム省リーニャン マイ・ナム(ベトナム写真展 2006年)


倒れた友に



*ホアン・ロック 人民軍の指揮者で戦死した。ひじょうに感動的な詩をのこした。

(『ベトナム詩集』飯塚書店 1968年)

崖



囚人の妻



(『ベトナム詩集』飯塚書店 1968年)


百合



豚をはこぶ看守


(『ベトナム詩集』飯塚書店 1968年)

白い花


ジアン川の娘──若い舟乗りの物語より──
                          ルウ・チョン・ル

戦闘は ひる頃
ひときわ はげしくなった
見張台の上で
ひどくやられたおれは
村の病舎にかつぎこまれた

息ぐるしい夏の夜
おれのからだから血が流れつづける
苦しい発作のあいまに
ふと眼をあげておれは見た
ひと影が 若い娘が
おれの寝床のわきに坐って
おやみなくおれを扇いでいるのを
銃が枕もとにたてかけてある
年頃は 十五か十六
髪が肩までたれている

きみは誰なの?
どこの舟着場で出合った娘さんだろうか
ミン・カムだったか カイン・ホアだったか
トウ・ゴアか トォン・バイだったか
おれにはもう思い出せない……
    *
とある四月の朝
おれたちは朝めしをたべていた
そこへ強盗どもの飛行機が
編隊で ひっきりなしにやってきて
おれたちの川を爆撃した
爆風が カムフラージの木の枝を焼き
爆音が 村の竹林をめちゃめちゃにした……
ジアンの流れは赤い波でさかまいた

おれたちの舟は
両岸をたよりに
レソンからバンフヘと行った
まるで 十里の流れのうえに
しっかりと身をささえた火の竜のように
おれたちの舟は 最初から
敵をさんざんにやっつけた
川のまんなかに
赤い血が流れたとき
怒りは 焼ける砲口からほとばしり出た
砲弾はとぼしかったが 英雄たちはたくさんいた……

そのとき 両岸には
いくつもの小隊が
部署について
敵をねらっていた
弾薬がなくなっても
手は銃をはなさなかった
両岸沿いの
十里もの路上では
年とったおばあさんや子供たちが
たえずおれたちの舟をはげましていた

そこに 十六か十五の娘がいた
庭から惜しげもなく折ってきた蜜柑の枝で
彼女は舟にみごとなカムフラージをした
彼女が愛する船体をおおい包んだのは
たんに蜜柑の枝だけではなかった
彼女の青春と
彼女の若いからだでおおったのだ!
誰かが彼女をよんで言った
「強盗どもがおまえさんの家を焼いているぞ」
彼女はたちどころに答えた
「家なんか燃えても また建てられます
戦士のいのちと舟の運命があぶないのに
家なんかなんでしょう」
爆弾をものともせず
血走った眼で 彼女は前進をつづけた
強盗どもが追い散らされ
夕ぐれが戦場にやってきたが
舟着場は相変らずごったがえしていた
負傷者の面倒をみたのはきみだったんだ?……
おれをその軽やかな手で起してくれたのも
きみだったんだね?

いまおれは思い出す あれはきみだったんだ
銃を肩にかつぎ
髪を風になびかせて
昼は 強盗どもを追い散らし
夜は こうしておれを扇いでくれている

……にわとりが村のなかで鳴いた
二度目に おれは目をさまして
きみがそこに相変らず坐っているのを見た
寝床のかたわらに 銑といっしょに
きみの針もつ指の下で
縫目が軽やかに波うつ

その火薬で黒くこげた上着は誰れの?
きみは手をとめ 眼がばっと輝やく
何を探すのか きみはあたりを見廻す
そしてまたおれは扇ぐ音をきく
夢のなかで 神の声をきくように……
眠れ 小さな妹よ 清らかに眠れ
おれたちの舟が勝利したように
おれは負傷にうちかつだろう
寝床の足もとに
朝の太陽が 金いろの光りをそそぐ
眠れ 小さな妹よ
    *
おれの傷はなおった
おれはふとぼろぼろになった手帳をひらいて
誰が書いたのか つぎのような文句に気づいた
「兄弟 あなたは多くの試練に耐えてきました
わたしたち妹は それを分けあわねばなりません
今夜 あなたのそばでわたしはねずに看病しました
もう帰らねばなりません さようなら」
字もみごとだ なぜきみは名まえを書かないのか
どの舟着場へ きみはもどって行ったのだろう?
トウ・ゴアか チャン・バイか
それとも ミン・カムか カイン・ホアか?
うつくしい人民の娘たちは
まるで天女のようにここへやってきて
白鳥の羽根ひとつ残さず 行ってしまう……

おれがいつも着ているこの古い上衣には
あの十六か十五の娘がかがってくれた
縫い目と継ぎあてが残っている
あの娘のいるのは ミン・カムか カン・ホアか
それともチョオ・ゴアか チャン・バイか
あのあたり水は鏡のようだ
おれたちの舟は曲りくねった流れを進む
おれはまた見張台にもどる
川のうえ
青空には 銀色の雲
波うった うつくしい髪……
きみはどこにいるのだろう
ラジオで放送でもしているのか それとも働いているのだろうか
戦火のなかで おれはいつもきみを探しつづけるのだ

(『ベトナム詩集』飯塚書店 1968年)

ベトナム
射撃訓練をするハノイ機会整備工場の女性自警団員 1967年 ハノイ マイ・ナム(ベトナム写真展 2006年)

 ベトナム万歳
                クロード・パリ 大島博光訳

希望は 偉大な力だ
武器よりも強い

愛する心は
勝利するだろう
それはこんな風になるだろう

ペストは 招かれざる客どもの
腹わたに浸みわたるだろう
ベトナム人民の
憎しみのペストは

火薬にまみれた黒い手の
怪物どもは
指のなかの松明も消え
顔を焼かれ
竹釘に刺されたかかとで逃げ出すだろう

太陽は 田んぼの上に照りつづけ
牛たちはびっくりするだろう
団結したベトナムのうえに
もどってきた静けさに

(「詩人会議」1969.12)

ひまわり



プーサ村


プーサ村


 裸婦像

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地理



(『ベトナム詩集』)


[フイ・カーン「地理──キューバの兄弟的人民へ」]の続きを読む
 わたしたちは網を編む タインホア省クワンスオン区クワンチアン村の 網を編む娘たちに
                        アイン・トー

   黄いろい絹のより糸で
   わたしたちは投網を編む
   白い麻糸で
   引網を編む
   銃は 竹棚できらめき
   腰の革帯には 重い弾薬入れ
   みどりの救急袋が風にゆれている
   みどりの榔子の枝で

   ある娘たちは 編みながら
   もうまなざしは夢み心地
   夜どおしいっぱい 夜なべをしたからだ
   ほかの娘たちは 編み針をみがきながら
   こいびととの別れの歌を口ずさんでいる

   またある娘たちは
   軍隊に招集されて戦った
   けさのことを思い出している

   こんぐらかった絹糸を一本一本とり出し
   麻糸の糸まりを一つ一つほぐして
   す速い手つきで 網を編む
   網は 季節風の吹くなかに張ってある
   そうして若い娘たちは まひるの戦闘を思い出すのだ
   彼女たちは 網をそっちのけにして 銃をとると
   村のざんごうの中を走りまわった
   どこででも 弾丸が音をたてた
   網を編むそのおなじ手が
   砂丘のうえに 敵機を射ち落したのだ!

   投網はどんどん絹糸をくう
   引網は 新しい編み目をふやしていく
   陽(ひ)よけが 夏の陽ざしでみどりになる
   椰子の林のこかげで
   海鳴りの音をききながら よるもひるも
   わたしたちは す速い指さばきで網を編む

   投網は モイという肉の甘い魚をとる
   ラムという魚もとる
   引網は 月夜のなかを出ていって
   鱈(たら)や ニュックをとる
   みどり色の胴をした蟹や
   身がやわらかくて 匂いのいいチャゴイをとる
   わたしたちの編んだ網は
   着物にもなれば 食糧ともなり
   大洋への愛情ともなる
   さあ 同志たち漁に出かけてください
   引網をもって 投網をもって
   わたしたちは ひるは編んで
   よるはベランダの上に立って
   あなたたちに代って 見張りにつくのです

*アイン・トー 女流詩人。一九二一年、北ベトナムの小さな町、ハイデュオンに生まれる。彼女は革命前に、ロマンチックな傾向をもった詩集『田舎の風景』を出版した。革命後、彼女は長編詩『ビュラン村の女』を出し、さいきん『鳩のつばさで』(一九六〇年)を出した。

ベトナム
(Catalogue of "1954-1975・VIETNAM" Exhibision of Photographs)

  トンの河口
                       ホアン・チュン・トン

  海の波は ごうごうと唸ることができるのに
  なぜ 話すことはできないのか
  風は飛べるが ひと吹きでは飛べない
  白い砂の浜べ 茂った木々が煙幕をつくり
  海の上 無数の舟の帆が果てしない空にひろがっている

  空はきょう 晴れと同時に雨ぐもり
  雲は 白くて 黒い
  水は 澄んでいて 濁っている
  海は 静かで 波立っている

  たくさんのジャンクの群れ……
  ジャンクの群れが 波をおしわけて
  縦横に行きかう
  「北」の舟と「南」の舟とを誰が見わけられよう?

  おお トンの河口よ
  朝は晴れで 夕ぐれは曇り
  海の波は うなりをあげる
  のどしめつけられる思いで
  海の波は 怒りほえる

  この二つの長い砂浜は いっしょになりたい二本の腕だ
  この二つの波止場は いっしょになるために渡船を待っている

  おれはじっと「南」を見つめる いつまでも見つめる
  そこは ビニットの河口だ
  しかし トオン・アンはどこにあるのか
  みどりの木々におおわれたグハンの山々は
  こがねの砂浜をもったエンの島は
  いったい どこにあるのか……

  おれはじっとそこにたたずむ
  風が肩の上を吹きぬける
  水が おれの足にとびはねる
  おれは何か歌いたくなるが 声は出ない
  おれは 岸べの岩のように じっとしている

  やあ カトソンの人たち 「南」の人たち
  八年というもの あなたたちはいつも祖国に忠実だった
  わき腹には鉄条網 のどもとには敵の手
  しかしあなたたちは 槍を研(と)ぎながら怒りを研(と)いでいるのだ

  帆にいっぱい風をはらんで 漁から帰ってくる
  向うのディ・ロアンとトン・ルオットの兄弟たち
  あなたたちは めしものどをとおらない
  復讐の思いが よるもひるも離れないからだ

  おお トンの河口 トンの河口よ
  おまえの名は 海のようにうつくしい
  おまえの怒りは 海のように深い
  生れ故郷の海の潮騒がおれの耳にきこえてくる
  海の波は おれのこころの上をうねり
  風は おれの頭のなかを吹きぬけるのだ

*ホアン・チュン・トン 一九二二年に生まれる。一九六五年ベトナム作家協会運営委員会委員員。作家協会機関誌『文芸』編集委員会書記。

(『ベトナム詩集』飯塚書店 1967年)

砂浜

    村に帰える
              ノン・クオック・チャン

  おっ母さん
  カオ・ラン地区が解放されたよ
  敵はやっつけられて つかまったよ
  味方が 拠点をみんな占領している
  人間が 蟻のように うようよしている
  銃が 森の中に 枯木のように山と積まれている
  あす おれたちは村へ帰えるよ
  わらぶき家を修繕したり 草を苅るよ
  丘を開墾したり 田んぼをたがすよ
  庭の垣根をつくったりして 仕事を始めるよ

  去年は 正月のお祭りも 十五日のお祭りも
  七月のお祭りも 忘れていた
  山の中や 谷の奥に逃げかくれて
  おれたちはたいへんな苦労をなめたものだ
  おっ母さん あの日を忘れんでしょう
  どしゃ降りの雨が 滝のように降っていた
  風が吹き狂って
  森のなかの木木は折れんばかり
  稲妻がひらめいて雷が鳴った
  おれたちの小屋の屋根が吹っとんで
  破れた戸が 道に倒れた
  おれたちの足には 蛭(ひる)が吸いついて黒かった
  そこへ鉄砲で射ちこんできた
  また掃討がはじまったのだ
  敵は すべての隠れ場を焼きはらったのだ
  もう燃えがらの炭しか残っていなかった
  やつらはなんでもみんな──上着やズボンまでかき集めた
  おっ母さんは 弟をおぶって森の方へ駆け出した
  うまく逃げのびると おれを呼んだ
  おれは袋を肩にかついで おっ母さんのあとを追った
  おっ母さんは おばあちゃんの手をひいていた
  めくらのおばあちゃんはどこへ行くのかも分らなかった
  おっ母さんは おれに向って叫んだ
  「さあ どうしたものやら?
  わしらは 抵抗せにゃならん
  やつらは おっ父を引ったてて行って
  うち殺してしまうよ」
  おやじは 売国奴をののしって なぐりかえしたのだ
  まもなく一斉射撃が始まった
  おやじは倒れて 地べたに転(ころ)がった
  おっ父はもう声も出さなかった!
  おれたちはまだ小さい
  いったい だれが育ててくれるのだ?
  おばあちゃんが死んだら
  だれがおれたちをみてくれるのだ?
  おっ母さんは坐りこんで泣きくずれ
  おれも頭をうなだれて泣いた
  おっ母さんは おれをなぐさめて
  敵がききつけるから 泣きわめくのをやめろ
  と言った それでおれはだまったのだ

  小屋はどれもめちゃめちゃにこわされていた
  もうあたりには人影も 板っこも見えなかった
  おっ母さんは肩掛をとって おっ父の顔にかけた
  おれは上着をぬいで おっ父のからだにかけた
  おれたちは おっ父の屍体をはこんで
  森のふちに葬った
  おれたちの手は 血で赤く染まり
  顔じゅう 涙でぬれた……

  きょう カオ・バック・ラン地区には笑いがどよめく
  ひとびとは 森をはなれ
  家財道具をもって 村へ帰える
  久しぶりで野の草が 人間の声でふるえるのだ
  草やぶになってしまった田んぼで
  草を苅り 土を掘りおこしながら
  おっ母は 子どもに話しかける

  ひろい街道の上を 自動車がうなりをあげて突っ走る
  学校で 子供たちはにぎやかにおしゃべりをしている
  ふわふわした煙りがわら屋根の上にただよう
  もう道も 草でかくれることはない
  もう虎も バナナ畑にやっては来ない
  木にみのった木の実も熟(う)れないうちにとられてしまう
  もう田んぼのなかに 血だまりができることもなかろう

  だが侵略者どもはまだおれたちの国にいすわっている
  やつらをみんな追っぱらったら
  おれは おっ母さんのそばにもどってくるよ
  おっ母さん 日がのぼる もう夜明けだ
  おれはまた解放軍といっしょに出かけるよ
  さようなら

*ノン・クオック・チャン
 一九二三年生れ。少数民族タイイ族出身。若くして革命運動に参加、日本軍の占領中は、北ベトナム地方でゲリラ隊員として闘う。詩「村へ帰える」は一九五一年の世界青年友好祭で入賞した。詩集に『戦う北ベトナム』、『北ベトナムのひとびとの歌ごえ』、『花咲く山のひとびと』などがある。

(『ベトナム詩集』飯塚書店 1967年)

ベトナム
(Catalogue of "1954-1975・VIETNAM" Exhibision of Photographs)

 戦士と歌手と 防空部隊の戦士と「北西」地区文化工作隊の芸術家たちに

                     ノン・クオック・チャン

   ある夜 大砲の砲座のほとりで
   寸劇と踊りと歌の舞台が終った
   しかし贈られる花束ひとつない
   観客のひとりが 戦利品を贈った

   女流歌手は 感激してうれしそう
   よろこんで 贈りものをうけとった
   贈りものを よく見ようとて
   彼女は ライターに火をつけた

   それはみごとな白い櫛
   真珠でできてはいなかったが
   きのう 撃ち落した飛行機の
   金属で それはできていた

   お友だちの 兵隊さん
   ありがとう ありがとう
   わたしは 朝までも歌いたい
   しかしあなたにもそんな暇はない

   女流歌手は はにかみながら
   兵隊さんの手をにぎる
   「わたしにはいまハンカチもない
   ライターしか もちあわせない

   わたしは記念に このライターを
   兵隊さんに あげましょう
   風のときにも 雨のなかでも
   戦場の道が よく見えるでしょう」

   色うつくしい 箱入りの
   贈りものを 手にとると
   戦士は それを 胸の上
   心の上に 抱きしめる

   おお 戦場でめぐり会う
   若い娘たち 若ものたちよ
   なんときみらは素朴で無邪気なことか
   なんときみらは清らかで美しいことか

   朝ごと 鏡のまえで
   髪をくしけずるきみよ
   よるもひるも 祖国に奉仕する
   あの戦士の姿を思いやってくれ

   氷をついて 嵐のなかでも
   山の頂きに立つ 戦士よ
   すべての戦士たちの心の中に
   どうか火を吹き込んでくれ

*ノン・クオック・チャン
 一九二三年生れ。少数民族タイイ族出身。若くして革命運動に参加、日本軍の占領中は、北ベトナム地方でゲリラ隊員として闘う。詩「村へ帰える」は一九五一年の世界青年友好祭で入賞した。詩集に『戦う北ベトナム』、『北ベトナムのひとびとの歌ごえ』、『花咲く山のひとびと』などがある。

(『ベトナム詩集』飯塚書店 1967年)

スカーフ
ピカソが1951年の世界青年平和友好祭のためにデザインしたハンカチーフ

 田んぼにゆく
              チャン・フー・トン 大島博光訳

日がのぼって 明るくなるにつれて
稲穂はこがねいろにかがやく
露もきらきら光って
草の葉でゆれている
青空の高みで
ひばりが調子高く歌っている
消えては現われるカッコーのひびきとおる歌が
野の遠くの方から聞えてくる

わたしは 鍬によりかかって見渡している
すると わたしの心は高鳴ってくる
ちょうどけさのような あの日の朝を
わたしは 思い出すからです
あの朝も ひばりが鳴いていた
稲は 穂をもちはじめていた
わたしは あなたを見送っていって
さよならを 言ったのです
あなたは 藤つるのかごをしょっていた
檳榔子の葉に包んだ餅を
わたしは腕にかかえていました
稲にひっかかってサンダルをとられると
あなたは身をかがめて急いでサンダルをはく

ひろい田んぼを横ぎりながら
この土手で あなたは言ったのです
「おれたちは 二度目の草とりを忘れていたから
稲の熟れ方が 不揃いだよ
おまえ 忘れないでおいてくれよ
このつぎには もっとうまくいくようにな」
遠くから 歌ごえが聞こえてきた
あなたの心は躍った
わたしたちは 集合地にたどり着くと
あなたはわたしに帰えれと言った……

三回 蜜柑の実がなった
三回 ざぼんの花が咲いた
防衛戦の始まった日に
あなたは 行ってしまった
「釣合作戦」がはじまったとき
あなたは 短かい手紙をよこしてくれた
わたしは長いことその手紙を握りしめていた
わたしの心は旗のようにはためいた

逆襲の季節がまもなくやってくる
わたしの稲はもうみのっている
こんなに稲穂がみごとに出揃っているので
わたしはきっと増産賞をもらいます
あなたよ 指を折って数えれば
もう四年が 過ぎました
ひとはわたしに言います
「もう 待っていてもしようがない」
「待っていても もうむだだ」
しかし わたしはあなたへの心を守っています
庭の入口に バナナがみのりました
戸口の前に 蜜柑が黄いろくなりました
わたしたちの田んぼ わたしたちの庭を見る時
どうしてあなたのことを思わずにいられましょう?

季節がさってまた季節がきます
わたしは 鍬を肩に田んぼにゆきます
愛するひとよ わたしたちの稲穂は重くたわわです
わたしのこころは躍ります
わたしははっきりと見とどけるのです
わたしたちの勝利を

チャン・フー・トン 一九二六年生れ。中部ベトナムの農民出身。革命後の世代の若い詩人たちのひとり。主として農民の生活をうたう。詩集に『八月の鈴』がある。

(『ベトナム詩集』1974年4月)

田んぼ

アメリカ機の墓場で
                      スオン・ジウ 大島博光訳

きょうは ベトナム民主共和国の
二十周年記念日だ
朝 空と大地とが一つにつながり
風はかろやかに雲の群れを吹きやり
新しい家家が 青空に向って窓をひらいていた
おれの心はよろこびで晴ればれとしていた
おれは「統一公園」を散歩してもよかったし
あるいは 街をぶらぶらして 屋根に映える
八月の光りに酔うこともできた
しかし けさ 革命の空の下で
おれは まっすぐに行ったのだ
アメリカ侵略者どもの飛行機の墓場へ

落っことされて めちゃくちゃになり
押しつぶされ 反(そ)りかえった 残骸の山
アメリカの悪魔どもが ひんまがって横たわっていた
この残骸の前にいると 味方の火器の 火を吹く音がきこえてくるようだ
炎の燃えあとが 翼についている
頭部と胴体と ばらばらになった無数の翼の破片が
やつらの不幸な冒険を比べるために集められていた
銃弾におびえふるえている「ファントム」の幽霊(ファントム)!
ひとにぎりの骨となった「空の海賊」
驚くべき「神の雷」もいまは静かにねむる
「十字」は ドル神のいけにえとなって
かたくひからびたわが身を嘆いている

この死神に仕えたものどもの醜悪な世界
それをおおう 地獄の煙りのなかに
おれはふとかいま見たような気がした
あの白髪(しらが)頭のようなホワイト・ハウスを
その窓のひとつひとつが吸血鬼の口なのだ
そしておれの耳にはきこえてくるのだ
飽くことを知らぬ飢えた狼どもの群が
たらふくつめこんだ狼どもの群が
うなり わめきちらし 吠えたてているのが
母と子が雨あられと降る爆弾の下で倒れる
子は泣き叫び 母おやは隠くれ場をさがす
おばあさんが 孫をかばおうとする……
ヤンキーよ こんな光景は人類の恥辱だ!

おれは 英雄主義を発揮した戦闘をしのぶ
この空は やつらのものではなく おれたちのものだ
下から投げられた 火柱が立ちのぼる
怒った大地から 雷鳴がとどろき 稲妻がひらめく
この防火網のなかを アメリカ機がとぶ
アメリカ機は翼を焼かれ いたるところで
山にぶつかり 堅固な城砦にぶつかるのだ

戦闘の熱気に身をふるわせながら おれは思うのだ
──いったい この青い空はだれのものか と
この青空は こいつら鴉どものものではない
こいつら アメリカの幽霊機のものではない
タン・チェオンの人たちは 五百機目の米機を射落した
一撃の下で 泥のなかにめり込むのがある
あんまり墜落するので その場に放ったらかし
腐るにまかせておくような場所もある
にがい風が嘆いている巨大な墓場……
方ぼうで ほかの残骸も見つかる
なんとみじめなやつら! おまえらはおそれおののくのだ
そよぐそよ風やつむじ風にゆれる草の葉にさえ
おまえらは 生命の流れにたいして暴力で向う
それだから
おまえらをやっつけるためには ひとにぎりの砂でも十分なのだ

米軍機の残骸の山をあとにして おれは出ていく
と おれの耳には めまぐるしい「時」の移りゆきのなかから
わきあがる笑い声がきこえてくる
鉄をつくる人たち すきをおしやる人たちが
敵にうち勝つのだ 勝利するのだ!
最初の抗戦で 落っこちた
爆弾の残骸から
よく鳴りひびくドラがつくりだされた
ロケットのしっぽは
妻よ きみの櫛になろう……
芽をだす椰子の実は
爆弾よりももっとつよいのだ

アメリカ機は おれたちの晴れた空から落ち
侵略者どもは 墓場への道をたどる
わが国の人びとは 爆撃の穴を埋め
こわされた道を直し
さらに新しい道をきりひらく
そうしてその傷ぐちをいやしながら
祖国はその身に新しい肉をもりあげていくのだ

(『ベトナム詩集』)