わたしの党に

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千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。



わたしの党に

わたしの党に


(「アカハタ」1961年4月、詩集『ひとを愛するものは』)

若葉



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夏の太陽

(『赤旗』1990年7月1日)

光をかかげて六十年
                    大島博光

おめでとう 「赤旗」創刊六十年
「赤旗」還暦 おめでとう

稲妻と波潤にみちた六十年
くらやみに光をかかげた六十年

一九二八年二月 あなたは生まれた
斧と荒縄の荒れ狂う 嵐のなか

血なまぐさい弾圧のなかから
不死鳥のあなたは よみがえる

勇敢な同志たちがあなたを守る
地下印刷で いのちをかけて

いま 雪の日も嵐の日も英雄的に
あなたを配り ふやす同志たち

くつの敷き皮の下や工具の中に
かくされて運ばれた あなたは

いま堂々と電車のなかで読まれ
街通りの掲示板に 貼られている

あなたは書く 人民の見たことを
人民にとって真実であることを

不条理と作り話と暴力がのさばり
すぐれた知性さえ雪崩れ落ちた時

あなただけが天皇制廃止をかかげ
侵略戦争反対を 叫びつづけ

いままた あなただけが叫んでいる
日米軍事同盟反対を 核兵器廃絶を

日本人民が 生きながらえる道
幸せになる道を 見抜いているから

あなたは 唯物史観の熟練工だ
鳩のとぶ 空の道さえ探しだす

あなたは 朝な朝なの目覚ましだ
人びとの眼をひらき 心を変える

あなたは前進する労働者階級と人民の
先頭にひるがえる旗だ 導きの星だ

<『グラフ・こんにちは』1988.1.17>
 「赤旗」は
                         大島博光

「赤旗」は わたしの
日日の 学校
わたしの眼に 光を与える

「赤旗」は わたしの
日日の みちしるべ
鳩の道さえ さし示す

「赤旗」は わたしの
日日の 展望台
わたしは 世界を読む

「赤旗」は わたしの
日日の 希望
わたしは 未来を飲む

「赤旗」は 日日
わたしに 与える
生きて たたかう勇気を
                             =一九九〇年六月=
<「詩人の眼」1990.7.5>

*三鷹市議の岩田康男さんが以前「大島博光さんの思い出」のなかで「配達員の詩」について書いていました。<・・・そんなに暇なら「しんぶん赤旗を配達して」と頼んだら「忙しい」と断られ、その数日後にしんぶん赤旗に大島さん作の「配達員の詩」が掲載され、全国から「感動した。配達に参加したい」の声が数多く寄せられました。私は「大島博光さんの八四歳を祝う会」に地元市議で招待され、「共産党の委員長は長い演説をして感銘を与えるが、詩人の大島さんはわずか数行で感動させる。すばらしい力の持ち主」とそのエピソードを紹介し・・・>何人かの方からこの詩を読みたいといわれて探していたら、<「赤旗」は>が見つかりました。(岩田さんは先日の市議会議員選挙で8回目の当選を果たしました。)

千曲川べりの村で
                         大島博光

党はすでに根をおろしていた 藁屋根の下にも
すがれた桑畑のなか 炭焼き小屋の中にも
そうして党は わたしを連れもどしてくれた
ふり返ってもみなかった兄弟たちのところへ

春さきの吹雪が吹きつける城下町の電柱に
おお わたしが初めて貼って歩いた党のビラよ
そのまた吹雪に髪をさらした若者たち同志たち
岩の裂け目にひらいた青いすみれたちの眼よ

わたしは思い出す 畳もすり切れた集会所で
暗い裸電球の下で話しあった村のひとたちを
黒びかりに煤けた棟木のようなひとたち
根株のような手で土にしがみついているひとたち

谷間に見捨てられた水車のように動かぬひとたち
暗い不幸がどこからやってくるかが見えずに
畦をせせり隣り同士いがみあっているひとたち
林檎畑の柵で心をも閉ざしているひとたち

麦わらのように踏みしだかれてきたひとたち
繭の中のさなぎのようにおのれの力を知らずに
あきらめの中にうずくまっているひとたち
町はずれの一杯飲み屋でうさ晴らしをしているひとたち

ごぼごぼと音をたてて流れる雪どけ水のように
よどんだ用水池から流れ出たいと夢みながら
ただ遠い海のぎわめきばかりに心ひかれて
脱けだす水路を探しあぐねている若ものたち

だがまた 桑摘みだ桑くれだ蚕あげだと
ろくすっば夜もねずに飼って採った繭の山が
値切られ買い叩かれて いつのまにか横浜の
巨大なビルに化けたことを見抜いているひとたち

わたしは思い出す 戦争に息子と山林を奪われた
地蔵峠の炭焼きじいさんの怒りのまなざしを
流した血と汗で敵をみつめはじめたひとたち
おお 仕事着の下に埋れ火を抱いてるひとたち

そうだ かすみのかかった遠いむかしから
火はもう血のいろ 怒りのいろで燃えていた
あくせく働いて納屋に残った藁くずの中で
血と汗のとりいれを掠めとられた胸ぐらの中に

火は藁屋根ののきを這い 畦道をつっ走り
沼のへりを森から森へと燃えうつり燃えひろがり
さかはりつけにされ さらし首にされようと
百千の宗五郎たちがいた 茂左ェ門たちがいた

そうだ そのむかしのろしのように立ち上って
むしろ旗 竹槍 鍬をかぎして城をめざし
鳥打ち峠を斜めに駈けくだった祖父たちの血が
このひとたちの胸にも腕にも流れているはずだ

そうだ そこには ものの本にも書き込まれ
古い語り草ともなっている五加村のひとたちがいた
火の見やぐらの半鐘を打ち鳴らして隊伍をくみ
竹槍を手に地主屋敷へと押しかけたその人たち

そうして庭土のなか深く埋めかくした赤旗を
ふたたび掘り出してメーデーに駆けつける人たち
古い畦をぶちこわすトラクターを夢みながら
堅いうねのなかに新しい種子をまいている人たち

そうしてきょう わたしは忘れずに書いておこう
あの深いから松林におおわれた浅間の高原を
そのキャベツ畑 麦畑を 演習場に奪おうと
アメリカ帝国主義の黒い手がのびてきたとき

この村の人たちがむしろ旗をおし立てて
どしゃ降りの雨のなか 軽井沢へと駈けつけたことを
そうして労働組合の兄弟たちと腕をくんで
ふるさとの大地を敵から守りぬいたことを

党はすでに根をおろしていた 藁屋根の下にも
すがれた麦畑のなか 炭焼き小屋のなかにも
そうして党は わたしを連れもどしてくれた
ふり返ってもみなかった兄弟たちのところへ
                       (一九四八年)

(解説)「千曲川べりの村で」は1948年の作ですが、発表は詩集『ひとを愛するものは』(1984年)。1946年2月に長野で入党してからの当時の活動を鮮やかに記していて貴重な作品です。