新聞を読んで

ここでは、「新聞を読んで」 に関する記事を紹介しています。
千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。


東京新聞

(東京新聞 2015年7月9日 朝刊)

 東京新聞が全国の大学で憲法を教える教授ら三百二十八人を対象にアンケートを実施。回答した二百四人(回答率62%)のうち、法案を「憲法違反」(違憲)としたのは、六月四日の衆院憲法審査会に自民党推薦で出席した長谷部恭男・早稲田大教授をはじめ、百八十四人。回答者の90%に上り、憲法学者の圧倒的多数が違憲と考えていることが鮮明になった。
 自民党内で反対の声をあげている村上誠一郎衆院議員は今晩のTBSニュースで「このまま突入していくと、アメリカに例えると、国民と自民党の南北戦争になってしまう。国民が納得のいかない法案をいくら無理に通したとしても、その法案の実効性というものは、私は、非常に希薄なものになるのではないか」と語っている。
赤旗記事

7月3日の赤旗1面で報道。米国防総省は「日本に日本防衛のための基地は一つもない」として普天間基地を含む基地の大幅削減を検討し、日本の基地は朝鮮半島やインドシナ半島など南西アジア防衛のためだと述べていました。この米軍のホンネは日本政府も分かっているわけで、今度の戦争法案の真の狙いは米軍の侵略戦争に自衛隊を参加させることにあるのでしょう。
東京新聞

瀬戸内寂聴さんがすぐれない体調を押して国会前で行われた戦争法案に反対する抗議行動に参加し、”去年一年病気でほとんど寝たきりだった。最近のこの状態には寝ていられない。どうせ死ぬならばこちらへ来て、みなさんに「このままでは日本はだめだよ、どんどん怖いことになっているぞ」と申し上げて死にたい”と命懸けの訴えをしました。


貴重な写真が新聞に載っていました。大空襲により廃墟と化した横浜市街を清水ヶ丘から撮った写真です。

横浜空襲

南区の清水ヶ丘は学生時代に4年間通ったなつかしい所。坂を登り切った丘の上に経済学部の正門があり、周囲は桜並木。左手に京浜急行・南太田の駅やドンドン商店街が臨めました。

この写真で左寄り奥がドンドン商店街、その先が私の下宿していた前里町4丁目になります。このあたり一帯が空襲のために焼け野原・瓦礫の山となっていたのですね。
東京、前橋はじめ日本の多くの都市が受けた悲惨な空襲被害、横浜での様子がこの写真でわかりました。

最近見た映画「ドレスデン」(2006年ドイツ)や「戦場のピアニスト」の廃墟のシーンも思い出しました。
どんな犯罪者もこれだけ多くの人を殺し、街を破壊することは出来ないでしょう。それを公然と、半ば合法的に行ってしまう戦争。戦争を企て、推し進める者こそ最悪の犯罪者だと言うべきはないでしょうか


最高裁判所裁判官国民審査は全員に☓をつけるつもりで投票所に向かったが、先日の国家公務員法弾圧事件で最高裁の宇治橋さん有罪判決に反対意見をつけた裁判官がいたことを思い出し、確認するために家に戻った。宇治橋さんも無罪とする反対意見を述べたのは須藤正彦裁判官とわかり、納得して投票した。もっとも、思想信条の自由・表現の自由を封殺する国家公務員法の規定自体が違憲であるのだが。

この件で東京新聞は「大法廷を開き、正面から判例を変更する必要があったのでは」と解説欄に書き、社説でも「言論を封殺せぬように」と述べている。
 
【社説】政党紙配布判決 言論を封殺せぬように
 政党紙を配布した国家公務員二人に最高裁が、無罪と有罪の分かれた判決を出した。ビラ配布を相次いで摘発した日本政府に国連が「懸念」を表明していた。自由な言論が封殺されぬことを望む。

 「憲法九条は日本国民の宝」
 そんな内容の新聞を配布しただけで、男性は逮捕された。共産党の機関紙「赤旗」で、男性が旧社会保険庁の職員だったからだ。公務員の政治的中立を求めた国家公務員法違反に問われた。
 逮捕は二〇〇四年だ。最高裁で「無罪」となるまで、実に八年間も要した。あきれるほど長い。
 捜査自体も異様だったといえる。男性は二十九日間も尾行された。多い時は十一人もの捜査員を繰り出し、四台の捜査車両を使い、六台のビデオカメラを回した。そんな人員と税金を投入するほど、重大な事件なのだろうか。
 当時は、自衛隊のイラク派遣に「反対」と書いたビラを配布した市民団体や、政党ビラを配った僧侶らも相次いで摘発された。いずれも政府批判の言論ばかりが、狙い撃ちされた印象だった。
 国連の自由権規約委員会は〇八年に「懸念」を表明し、日本政府に表現の自由への不合理な制限を撤廃すべきだと勧告した。
 欧米などの先進諸国は、勤務時間外や勤務場所以外の政治活動は自由である。公務と私生活を区別せず、全面的に政治活動を禁止し、反すると刑事罰を与えているのは、日本だけといわれる。今回の無罪判決は、国家公務員法の「政治的行為の制限」に風穴をあけた意味を持つ。
 二人の裁判は「政治的中立性を損なう恐れが実質的に認められるか」が、判断の分かれ目だった。厚生労働省の元課長補佐の場合は、その地位を重くみて、「行政の中立的運営に影響を及ぼす」とされ、有罪となった。
 だが、反対意見も付いている。被告が「一市民として行動している」と考え、「無罪とすべきだ」と述べたのだ。同じ政党紙配布という行為でありながら、無罪・有罪と食い違ったのは、説得力に乏しい。
 そもそも公務員を完全に政治的中立とすること自体が、“虚構”の上に成り立っていないか。法改正も検討するべきだ。
 言論ビラの配布は、表現の自由の一手段だ。政府への批判は、民主主義の“栄養分”である。国の行方が見えぬ時代こそ、モノを言う自由を大事にしたい。
(2012年12月8日 東京新聞朝刊)
東京新聞夕刊連載の杉良太郎「この道」はなかなか面白かった。特に最終回の前の(48)─命の限り<8月30日付け>では、国民のための政治のありかたを明快に論じている。

杉良太郎

 思えば国は、どれだけ国民に訴訟を起こされてきたか。B型C型肝炎、原爆被爆者、水俣病、ハンセン病、公害訴訟。この紙面で書けないほど国は訴えられてきた。この人たちはもはや高齢者だ。
 机の上で処理しようとしたり、自分が役職にあるうちはかかわりを持たないで通したいというような考えから、今もって解決しないものがほとんどで、解決するには時間がかかりすぎる。国家は国民に対して優しさや思いやりもない。
 国会議員会館の前を私はよく通る。年老いた人、ハンディを背負った人、子供に至るまで、冷たい風の吹く中、照り付ける書い日差しの中で座り込み、訴え続けている。その姿をみるたびに、国とは何か、その人たちを見て見ぬふりをして通る政治家や官僚に人間としての「誠の心」はないのか。
 総理大臣は日本国の父親である。国民は子供だ。かけがえのない子供たちが、慟哭(どうこく)の涙を流し、のどが裂けぬばかりに訴えていることに、真剣に耳を傾ける気はないか。その子供たちに訴えられるなど、恥ずかしくはないか。
 私は以前に何度も政治家や官僚の集いで訴えてきた。タカ派の国防に携わる方々には申しわけないが、例えば今年の自衛艦一隻発注するのをやめて、その予算ですべての訴訟を取り下げ、すべての方々の補償をするべきだ。とはいえ国の防衛は大事なことなので、あくる年それなりの予算をとって最新鋭を造ればいい。早く区切りを付けるべきだ。
 今まで訴えてきた政治家は、口々に「なかなか難しいことです」という。私は分からない。人の痛みや苦しみが分かれば簡単に処理できると考えている。国民が一番望むことは、この国に生まれて良かったと思い、安心できる人生を送ることだ。年金は生活していくのに足りない金額で、それももらえないか不安だ。
 いろいろな手当で国民の心を引きつけるよりも、一人あたり十二万円ぐらいの年金を支給することだ。最後に、役に立たない、話は聞くが行動に移さない、心がない政治家はいらないのではないか。
<東京新聞 2010.8.30 夕刊>

8月の敗戦記念日にあたっては各メディアは特集を組みました。長野朝日放送のインタビューを受けたときも、再び戦争をくり返さないために若い世代に何を訴えますか?と問われました。昨日の東京新聞の紙面批評欄で宇津井輝史氏が「戦争体験とともに語り継がれるべきなのは、戦争が起きた要因と、過ちを繰り返す恐れのある社会の空気や仕組みである」と説得力ある論評を書いています。


語り継げ 戦争の過ち──新聞を読んで 
                   宇津井輝史

 八月は戦争にまつわる特集を各紙が競って掲載した。日本にとって長い戦争がようやく終わった月だから、意味と必然性のある企画である。大きな災禍をもたらしたあの戦争の意味を考え、不戦の思いを読者それぞれの心の中で確認し、次の世代に語り継ぐ必要があるためである。終戦六十五周年の今年は、新聞、テレビとも、とりわけ戦争特集に力を入れているように感じた。戦争を直接知る人が年々減り、世代間の継承が困難になりつつある危機感を反映したものだろう。
 「鎮魂の夏2010」と題する特集で、特に目を引いたのは、8月12日から四日連続で朝刊に載った「記憶・20代記者が受け継ぐ戦争」という企画である。戦争当事者に取材して書いたルポルタージユ。戦争を風化させてはいけないとの思いからだろう。若い記者の真撃(しんし)な取材姿勢が、読み応えのある記事を生んだ。
 語り部はみな高齢者である。広島の原爆で家族をすべて失った人、白骨街道といわれたインパール作戦の数少ない生存者、満蒙(まんもう)開拓団の一員として渡った中国に残留を余儀なくされ、戦後四十一年たって帰国した女性、疎開児童を守り通した女性教員。戦争が残した心の傷を背負って戦後を生きてきた人たちの言葉が重い。
 戦争を体験した人は、平和が何より尊いことを知っている。その体験を次世代に語り継ぐのは二度と戦争を起こさないようにするためである。
 不戦の願いをこめて戦争を知らない世代の感性に訴える意義は大きい。しかし感性や情緒は遺伝子のようにずっと正確に伝わることはない。時の経過とともに次第に風化していくのは避けられない。不戦のための実効ある抑止力とするために、語り継ぐべきなのは戦場の悲惨さや無差別爆撃の地獄だけではないはずだ。語り継ぐ意味が再び戦争を起こさないことにあるならば、戦争が起きた原因こそ追求しなければならない。
 戦後教育が平和を第一の価値にしたのはいい。だが、あの戦争がなぜ起きたのか、国民はなぜ国難と感じて開戦を支持したのかなど、まるで戦争などなかったことにするかのように、学校では教えてこなかった。われわれはまず自国の歴史を知り、戦争に至ったプロセスを国民が共有する必要がある。初めから曖昧(あいまい)だった戦争目的、軍部の独走を許した政治、極端な国家主義、精神主義とたび重なる思考停止。これらは今日の社会に無批判に継承されたのではなかったか。
 戦争体験とともに語り継がれるべきなのは、戦争が起きた要因と、過ちを繰り返す恐れのある社会の空気や仕組みである。来年になるかもしれないが、次回はぜひそういう視点からの企画を望みたい。
 (東商サポート&サービス社長)
<東京新聞 2010年9月5日 朝刊>

読売新聞のコラム「編集手帳」 8月15日付もよかった。
戦争協力に最も熱心だった読売新聞。本年3月、東京高裁が「国家公務員の政治活動に限度を超えた制約を加えることになり、(表現の自由を定めた)憲法二一条に違反する」としてくだした「赤旗」配布無罪の判決についても社説で反対した読売だが・・・。


 ―山の淋しい湖に/ひとり来たのも悲しい心…高峰三枝子さんの『湖畔の宿』(詞・佐藤惣之助、曲・服部良一)が世に出たのは1940年(昭和15年)である。替え歌が作られる◆―昨日生れたタコの子が/弾に当って名誉の戦死/タコの遺骨はいつ帰る/タコのからだにゃ骨がない/タコの母ちゃん悲しかろ…。ひそやかに、しかし、たちまちのうちに全国に広まったと、鳥越信著『子どもの替え歌傑作集』(平凡社)にある◆戦死したわが子は遺骨さえ帰らない。大っぴらには口にできない悲しみを替え歌に託し、人々はそっと口ずさんだのだろう◆話術家の徳川夢声は、戦時下の日記に自作の句を書き留めている。〈出鱈目(でたらめ)に播(ま)きし菜種の霜に堪え〉〈蝉(せみ)鳴くや後手後手と打つヘボ碁打ち〉。家庭菜園や囲碁の話題を装いつつ、播かれる「菜種」や打たれる「碁石」が、戦略なき戦争に翻弄(ほんろう)される庶民を指すのは明らかである。暗号のような替え歌や俳句でしかありのままの心情を語れない時代があったことを、言論の末席に連なる者として忘れまい◆鎮魂と慰霊の日は、「声」の無事を確かめる日でもある。
<2010年8月15日 読売新聞朝刊>

 <米軍の駐留は憲法九条に違反する>と1959年「伊達判決」がだされた直後に最高裁長官が駐日米大使と密談、そのご大使の要求通りに最高裁へ跳躍上告されて、審理差し戻し、最終的に逆転判決となった。

 伊達判決の翌日に当時のマッカーサー駐日米大使が藤山愛一郎外相と会談して外交圧力をかけたとされたが、最近、外務省が「記録がない」としていた従来の姿勢を転換して会談の事実を認めて、大使と外相のやりとりの速記録を関係者に情報開示した。あらためて当時の最高裁の政治的に卑屈な立場が浮き彫りになった。
 今回の情報公開請求にたいしても最高裁と内閣府、法務省の回答は不開示だった。
 東京新聞の「筆洗」は次のように書いている。
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 <米軍の駐留は憲法九条に違反する>。半世紀前、歴史に残る判断が示された。憲法の教科書で必ず紹介される「伊達判決」である▼東京都北多摩郡砂川町(現立川市)の米軍の飛行場に不法侵入したとして、旧日米安保条約に基づく刑事特別法違反罪で起訴された被告に、東京地裁の故伊達秋雄裁判長は一九五九年三月三十日、無罪を言い渡した▼墨筆で書いた辞表を懐に判決に臨んだ裁判長の覚悟に慌てたのは、当時のマッカーサー駐日大使だった。判決翌日、藤山愛一郎外相と会談、東京高裁を飛び越えて最高裁への上告を促した。田中耕太郎最高裁長官とも密談している▼裁判は大使の思惑通りに進んだ。検察は最高裁に跳躍上告。最高裁は地裁に審理を差し戻し後に有罪判決が確定する。露骨な内政干渉の事実が明らかになったのは二年前、米公文書が機密指定を解除されたためだ ▼外務省は元被告の情報公開請求に「記録がない」としてきた姿勢を最近やっと見直した。大使と外相が会談した事実を認め、速記録を元被告に開示したのだ。政権交代の大きな果実だ▼飛行場は七七年に返還され、昭和記念公園になった。百八十ヘクタールの敷地には三十一種類千五百本の桜があり、ソメイヨシノが満開だったきのうは二万人が訪れた。沖縄の米普天間飛行場の跡地に季節の花が咲き、市民を楽しませてくれる日も必ず来る。(2010年4月4日)
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国松孝次警察庁長官銃撃事件の時効にあたり、警視庁の公安部長が記者会見をし、「事件はオウム真理教のテロだった」と断定する異例の捜査結果を公表した。立件できなかった事件について裁判所にかわって断定して公表したのは不当な権力の行使だ。自らの不手際を振り返るのが世の習いであろうに堂々としたいなおりは公安警察の面目躍如というべきか。各紙も批判的に論評しているが、東京新聞の「筆洗」が明快だ。「・・・公表された捜査結果の概要は、質の悪い状況証拠の羅列だった。立件はできなくても、教団の犯行と印象付ければ良いという浅ましさが透けてみえた。公表を認めた警察上層部の責任も問われることになるだろう・・・延べ五十万人近い捜査員を動員しながら、こんな総括しかできない捜査機関は存在価値がない。」
公安警察というと小林多喜二に極悪非道の暴行を加えて殺害した特高を連想してしまう。あの犯罪の責任はどうとられたのか追及したい。
社会保険庁職員の「赤旗」配布無罪の判決について、東京新聞一面のコラム「筆洗」がわかりやすくてすばらしい。以下に引用します。
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 共産党を支持する社会保険庁(当時)の職員を、警視庁公安部などの捜査員は約四十日間、徹底的に尾行した。自宅を出た後に、昼食に何を食べ、夕方にだれと会ったのか。夜はどんな集会に参加したのか▼行動は分刻みに記録された。多い日には十人以上の警察官が出動し、三、四台の車両、ビデオカメラ四~六台がたった一人の尾行に使われた。私生活に踏み込む執拗(しつよう)さは、戦時中に戻ったような錯覚さえ抱かせる▼一人のプライバシーをなぜ、ここまで監視しなければならなかったのか。それは国家公務員が休みの日に、政党機関紙を配った行為を「犯罪」とするためだった▼東京高裁はきのう、堀越明男さんに逆転無罪の判決を言い渡した。政治活動を禁じた国家公務員法の罰則規定を適用することは「国家公務員の政治活動に限度を超えた制約を加えることになり、(表現の自由を定めた)憲法二一条に違反する」という明快な判断だった▼中山隆夫裁判長は「公務員の政治的行為は、表現の自由の発現として相当程度許容的になってきている」と社会状況の変化に言及する異例の「付言」をした。国民の常識に沿った考えだ▼同じ警視庁公安部が威信をかけて捜査してきた国松孝次警察庁長官の銃撃事件はきょう、公訴時効を迎えた。納税者として警視庁に言いたい。「税金の使い方がおかしくないですか」と。
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読売新聞はどのようにとりあげているかと朝刊を何回もめくったが見あたらない。やっと第三社会面にごく小さく「判決の要旨」だけ論評もなく載っているのを見つけた。表現の自由にかかわる重要なニュースを無視しようとしている読売新聞にあわれささえ感じた。