元理論社社長の小宮山量平のミュージアムに大島博光の原稿がある、との報が小熊幹さんからあり、上田駅前にある「Editor's Museum 小宮山量平の編集室」を訪ねました。ミュージアム代表の荒井きぬ枝さんがミュージアムが果たしている役割について話されました。小熊幹さん(小熊忠二氏のご子息)が立ち会ってくださいました。生前の小宮山量平と親しく交流し、ミュージアムの開設にも協力されたそうです。「昭和20年から23年、小宮山量平が上田に住んでいた時期に、上田の争議の応援などで博光との接点があったのではないか」。
室内には書架がたくさん配置されていて、小宮山量平が手がけたおびただしい書籍が並んでいます。ビアンカの「森の新聞」など懐かしい本、読みたい本が沢山ありました。博光の原稿「二月の風」が入っていた「武蔵野詩集」の封筒。実際には出版には至らなかったようですが、数十編の詩の原稿があります。

博光の「二月の風」は『日本抵抗詩集』に収録されていましたが、この原稿のほうが一連多くなっています。
室内には書架がたくさん配置されていて、小宮山量平が手がけたおびただしい書籍が並んでいます。ビアンカの「森の新聞」など懐かしい本、読みたい本が沢山ありました。博光の原稿「二月の風」が入っていた「武蔵野詩集」の封筒。実際には出版には至らなかったようですが、数十編の詩の原稿があります。

博光の「二月の風」は『日本抵抗詩集』に収録されていましたが、この原稿のほうが一連多くなっています。
厚生連 鹿教湯三才山リハビリテーションセンター三才山病院
上田市街から車で40分、鹿教湯温泉の温泉街からさらに4kmほど奥の山の中にありました。
病院にむかう別れ道。ここから先は山の中で建物は一切ありません。
まっすぐ進むと浅間温泉を経由して松本に着きます。
山の中の道、脇を渓流が流れ、貯水池があります。
山道の一番奥に大きな病院がありました。
当初は長野県医師会が直営した奥鹿教湯温泉病院だったようです。
モニュメント「山河」山里で羽を休めた鳥が再び飛び立つ様子をイメージしたものだそうです。作者は上田在住の坂井達省さん。
叔父の大島洋さんの奥さんをお見舞い。言葉を交わすことは出来ませんでした。昨年は元気で、千曲川の土手でお会いしたときに博光の学生時代の松本城での写真を下さいました。
シャガールを重田さんが送って下さいました。バラやカラー、たくさんの花に包まれて添い寝するカップルと、その上に乗って二人を見つめる小動物。詩情あふれる雰囲気も、色彩も素晴らしいです。入り口脇に展示しています。
テラスのバラも一斉に開いてきました。
ポトフがカレーになった話
休みの日の朝食にはポトフを作っている。昨年暮れに関越自動車道・寄居の「星の王子さまPA」のランチを食べて感動したのだ。大きなジャガイモ、ニンジン、牛スネ肉、ウインナーソーセージ、キャベツなどを塩味で煮込んだもの。素材がもつ美味しさを味わえること、ボリューム感、身体が暖まること、なんといっても簡単に作れそうなことで、心を奪われた。
以前、ビーフシチュー作りに凝ったが、あれはなかなか大変だ。赤葡萄酒で煮込んだり、裏ごししたりで時間がかかる、手間がかかる、そして思うような味がでない、苦労して作っても誰も喜ばない。
ポトフ作りは手抜き料理人には最適だった。材料を煮て、適当に塩とコショウで味付けをして、20分ほどで完成。味噌汁と比べても味噌を溶かす手間がないだけ簡単だ。そして味も根菜とソーセージの旨みが出て失敗がない。
今日もいい調子で作り始めた。材料が煮えてきたところでブイヨンの素を入れ、塩のキャップを外して入れ、あらびき胡椒のキャップを外して入れ・・・ところがあらびき胡椒は穴のある内蓋まで外れてしまい、ドバっと大量に入ってしまった。・・・。あわてて胡椒の群れを丹念にすくい取ったが、辛さが染みついてこれはマズイ。とっさに浮かんだのがカレーにしてしまう案、カレーがカラい分には文句がないだろう・・・と甘口のカレールウを投入、少し塩辛い分は牛乳でなごませて完成させた。
カレーとしての出来栄え、カレーの歓びがどうだったかはこの際問題ではない。カレーとして食べられたことが重要なのだ。
成り行きによってカレーにもクリームシチューにも化けられる柔軟性?もポトフのいいところだ。
休みの日の朝食にはポトフを作っている。昨年暮れに関越自動車道・寄居の「星の王子さまPA」のランチを食べて感動したのだ。大きなジャガイモ、ニンジン、牛スネ肉、ウインナーソーセージ、キャベツなどを塩味で煮込んだもの。素材がもつ美味しさを味わえること、ボリューム感、身体が暖まること、なんといっても簡単に作れそうなことで、心を奪われた。
以前、ビーフシチュー作りに凝ったが、あれはなかなか大変だ。赤葡萄酒で煮込んだり、裏ごししたりで時間がかかる、手間がかかる、そして思うような味がでない、苦労して作っても誰も喜ばない。
ポトフ作りは手抜き料理人には最適だった。材料を煮て、適当に塩とコショウで味付けをして、20分ほどで完成。味噌汁と比べても味噌を溶かす手間がないだけ簡単だ。そして味も根菜とソーセージの旨みが出て失敗がない。
今日もいい調子で作り始めた。材料が煮えてきたところでブイヨンの素を入れ、塩のキャップを外して入れ、あらびき胡椒のキャップを外して入れ・・・ところがあらびき胡椒は穴のある内蓋まで外れてしまい、ドバっと大量に入ってしまった。・・・。あわてて胡椒の群れを丹念にすくい取ったが、辛さが染みついてこれはマズイ。とっさに浮かんだのがカレーにしてしまう案、カレーがカラい分には文句がないだろう・・・と甘口のカレールウを投入、少し塩辛い分は牛乳でなごませて完成させた。
カレーとしての出来栄え、カレーの歓びがどうだったかはこの際問題ではない。カレーとして食べられたことが重要なのだ。
成り行きによってカレーにもクリームシチューにも化けられる柔軟性?もポトフのいいところだ。

総選挙の最終盤、船橋駅頭で志位さんと斉藤和子さんが選挙演説

評判の斉藤和子さんの演説は堂々としていて引きつけられました。「戦争する国に変えられて、戦争に駆り出されるのは今選挙権のない子どもたち。彼らに代って平和憲法を守る投票を!」

志位さんは「二度の消費税増税のたびに経済が落ち込んだ。三度めの増税はやるべきではないと安部首相に言ったが聞き入れない。しかし増税しない道がある」と強調。
沖縄・辺野古の新基地建設について「選挙の大きな争点になっているが、県知事選での翁長さんの勝利に関連してジョセフ・ナイ元国防次官補が<辺野古移設に沖縄の人々の支持が得られないなら、われわれは再検討しなければならない>と述べた。新基地建設を許さないためにも今度の選挙で支持を拡げてほしい」
沖縄の人々の闘いによって、辺野古の新基地建設はいよいよ不可能になりそうだと感じました。

長年働いて引退することとなったボルボ。多摩川・是政へ最後のドライブに行きました。


なつかしい土手と鉄橋。博光さんと最後に釣りに来たのが確か2003年秋でしたので11年ぶりです。


南武線の鉄橋。この辺りが博光第一のつり場でした。<多摩川・是政にて─鯉釣り日記>

大水の影響か、川辺は荒れ果てた風景で、かってののんびりした感じはありません。

是政橋。遠景はなかなか美しい。

是政橋から望む多摩川の上流。かって博光は夫婦でここを歩いて上がり、八王子の大和田(嫁の実家)まで行ったそうです。

途中にある神代植物公園の正門にて。

なじみだったレッドロブスター関前店(武蔵野市)。

11年弱で19万7千キロ。文句も言わず、よく働いてくれました。