「鳩の歌」からとっています。
わたしは鳩だから どこへでも飛んでゆく
風のように 世界じゅう 飛びまわっている
わたしの巣立った巣は ヒロシマ ナガサキ
ゲルニカ アウシュビッツ オラドゥール
わたしはそこで焼かれて 灰のなかから
不死鳥のように また 生まれてきたのだ
そこで焼かれた人たちが血と涙の中から
仰ぎ見た あの空の虹が わたしなのだ
わたしは大きな不幸の中から生まれてきたから
わたしのほんとうの名は 幸福(しあわせ)というのだ
わたしの名を呼んでいるところ どこへでも
わたしは三つ葉の小枝を咬(くわ)えて 飛んでゆく
赤ん坊に乳をふくませている母親の胸のなか
新しい朝を迎えた 若い恋人たちのところへ
……
風のように 世界じゅう 飛びまわっている
わたしの巣立った巣は ヒロシマ ナガサキ
ゲルニカ アウシュビッツ オラドゥール
わたしはそこで焼かれて 灰のなかから
不死鳥のように また 生まれてきたのだ
そこで焼かれた人たちが血と涙の中から
仰ぎ見た あの空の虹が わたしなのだ
わたしは大きな不幸の中から生まれてきたから
わたしのほんとうの名は 幸福(しあわせ)というのだ
わたしの名を呼んでいるところ どこへでも
わたしは三つ葉の小枝を咬(くわ)えて 飛んでゆく
赤ん坊に乳をふくませている母親の胸のなか
新しい朝を迎えた 若い恋人たちのところへ
……
冒頭の行と第8連の部分ですね。
詩誌『橋』5号(1984年4月)に掲載されています。
風刺詩「夜のサヴァンナ」(1989年2月)からとっています。
夜のサヴァンナ 百鬼夜行
これはこれ 弱肉強食の世界
王者のライオンどもは
「獅子の分け前」を ぶんどり合い
そのまた分け前の おこぼれを
サヴァンナじゅうに 大盤ぶるまい
出てくるわ 出てくるわ
ハイエナどもに ハゲ鷲ども
腐肉に群がる ジャッカルども
月が照しだす たかりの構図
うすくらがりの その奥に
さらにうごめく 「巨悪」の影
……
今につづく弱肉強食の政治……
*「夜のサヴァンナ」(『冬の歌』)
アラゴンの詩「未来の歌」からとっています。
未来とは 死にたいして たたかいを
いどむ 戦場なのだ これこそが
不幸から わたしのかちとったところのものだ
これこそ 人間の思想が 一歩また一歩と
けずりとってきた 前進基地なのだ
いましがた 最後の力をふりしぼって
海の泡が たたかいをおし進めた場所に
たえず 寄せてはかえす 波のように
……
(詩集『エルザの狂人』──「未来の歌」)
「愛について」という詩で
愛するすべを 知らないものは
孤独で ひとりぼっちの男は
湿った うつろな洞(うろ)だ
ただ 毒茸が生えるばかりだ
ひとは 愛においても
絶望しては ならない
ひとは 愛に絶望すれば
愛の砂漠を さまようばかり
……
とうたっています。
(『冬の歌』─「愛について」)
夏の終わりの蝉のように
大島博光
泣いてた男が 泣きやんだら
呻めいてた男が しずまったら
すすり泣きの歌も 聞こえない
もう わめく声も 聞こえない
耳ざわりな涙声も 消えた
もう ひっそり だまりこんでしまった
呻めいてた男も 死んだんだろう
もう泣き虫も くたばったんだろう
夏の終わりの蝉のように
泣いているうちは 生きているのに
歌いやめれば 死んでしまう
愛を失(な)くせば 火は消えてしまう
あとに残るのは 腑ぬけの殻
さながら蝉殻 もぬけの殻
呻めいてた男も 死んだんだろう
泣き虫も もう くたばったんだろう
反歌
わたしは 夏の終わりの蝉だ
泣きやむときが 死にゆくときだ
夏の終わりを うたう蝉は
愛も歌も生も ひとつのもの
生のかぎりを わたしもうたおう
わたしの声が きみにとどくように
わたしもうたおう 最後の愛を
声をかぎりに 最後の生を
わたしのこだまが 森の茂みに
いつまでも顛えて 残るように
一九九五年二月
(自筆原稿)
大島博光
泣いてた男が 泣きやんだら
呻めいてた男が しずまったら
すすり泣きの歌も 聞こえない
もう わめく声も 聞こえない
耳ざわりな涙声も 消えた
もう ひっそり だまりこんでしまった
呻めいてた男も 死んだんだろう
もう泣き虫も くたばったんだろう
夏の終わりの蝉のように
泣いているうちは 生きているのに
歌いやめれば 死んでしまう
愛を失(な)くせば 火は消えてしまう
あとに残るのは 腑ぬけの殻
さながら蝉殻 もぬけの殻
呻めいてた男も 死んだんだろう
泣き虫も もう くたばったんだろう
反歌
わたしは 夏の終わりの蝉だ
泣きやむときが 死にゆくときだ
夏の終わりを うたう蝉は
愛も歌も生も ひとつのもの
生のかぎりを わたしもうたおう
わたしの声が きみにとどくように
わたしもうたおう 最後の愛を
声をかぎりに 最後の生を
わたしのこだまが 森の茂みに
いつまでも顛えて 残るように
一九九五年二月
(自筆原稿)
*色紙「夏の終りを鳴く蝉には」のもとの詩がこれですね。偶然みつかりました。
「夏の終りを鳴く蝉のように わたしも 声をかぎりに 最後の生をうたおう」

西島史子さんが大切にしていた色紙を記念館に寄贈されました。
詩集「冬の歌」の「不幸は忍び足で」からとっています。
静江入院の悲しみのなかにありながら、希望をもって生きていくことを念じています。
不幸は忍び足でいきなり やってきた
パーキンソン病症侯群の姿をして
きみは 萎えて動かぬ身を横たえる
病院のベッドの しとねの墓場に
いま病いと老いとが 生きながらに
わたしたちを生ま裂きに 引き裂いた
かつて 悦びにあふれたうつわは
一挙に 悲しみのうつわと化した
わが家のなかは もう夜よりも暗い
扉をあけても だれも答えてくれない
明るい灯を ともしてくれたきみは
そこには そこには もういない
運命は わたしに残しておいたのか
こんな冬の日の悲しみと 試練とを
春の歌ばかり 歌ってきたわたしに
いまは 冬の歌をうたえというのか
いやいやきみはひとりぼっちじゃない
そんな泣き虫になるな かかずらうな
おのれひとりの不幸や 悲しみばかりに
雪は きみにだけ降るのではない
いま怒りが日本じゅうに渦巻いている
腐肉に群がる ハイエナや禿鷲どもが
支配者としてのさばっている国で
みんなが日日の収奪や圧制と闘っている
きみにもたくさんの仲間がいるはずだ
ひとをうちのめす死や孤独や絶望に
うち勝とうと みんなと腕を組んで
きみもまた たたかってきたはずだ
大事なのはいつも立ち上がってゆくことだ
おのれの傷口や 涙のなかからさえ
最後まで希望を太陽を抱いてゆくことだ
それが冬にうち勝つ きみの冬の歌だ
<「不幸は忍び足で」>
詩「きみは 大地を」の冒頭からとっています。
休みの日には疲れも忘れて山や高原へ出かけて花や鳥を追い求める静江、まことに天衣無縫の童女そのものでした。
きみは 大地を
大島博光
きみは 大地を歩きまわった
黒髪を 風になびかせながら
花をもとめ 小鳥たちを探して
まるで 水遠の童女のように
日光 小田代ヶ原の草原に
まばらに 立って咲いていた
紫の アイリスの花たちに
きみは 声をあげて見とれた
春遅い 戸隠高原のせせらぎに
群生した 水芭蕉の白い塔たちを
きみは愛(め)でて 動かなかった
そこは きみのアルカディア
尾瀬の湖畔の 木立のしたで
メボソムシクイやオールリに
きみは あかず聞きほれた
その細緻な囀りの 音楽に
あんまり風のように 歩きまわって
あんまり この世の美しいものを
見たり 聞いたりしたので
きみの神経は 狂ってしまった
あたりを 明るく照らして
あたりを あたたかく温めて
きみは 火のように燃えた
そして 炎のように燃えつきた
(詩集「老いたるオルフェの歌」)
雪の長野駅に降り立った静江と迎える博光。映画の一シーンのような情景が浮かびます。
『蝋人形』が解散したあとの昭和19年4月、博光は郷里松代に帰って結核の療養をはじめます。半年後、東京で知り合った静江に手紙を書いたことから静江が長野に来て、二人の人生がスタートしました。
元の詩は「きみのいない時間と空間のなかに」(『老いたるオルフェの歌』)になります。
『蝋人形』が解散したあとの昭和19年4月、博光は郷里松代に帰って結核の療養をはじめます。半年後、東京で知り合った静江に手紙を書いたことから静江が長野に来て、二人の人生がスタートしました。
元の詩は「きみのいない時間と空間のなかに」(『老いたるオルフェの歌』)になります。