色紙解題

ここでは、「色紙解題」 に関する記事を紹介しています。
千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。


色紙
君は水脈の中に永遠の音を歌った
沈黙の色彩を創造した
もはや存在の見えざる姿も
君には見える音となり 色彩となった
怖るべき釣針をもてる旅人よ
             (はがき詩集)



 夏の終わりの蝉のように
                      大島博光

泣いてた男が 泣きやんだら
呻めいてた男が しずまったら
すすり泣きの歌も 聞こえない
もう わめく声も 聞こえない

耳ざわりな涙声も 消えた
もう ひっそり だまりこんでしまった
呻めいてた男も 死んだんだろう
もう泣き虫も くたばったんだろう

夏の終わりの蝉のように
泣いているうちは 生きているのに
歌いやめれば 死んでしまう
愛を失(な)くせば 火は消えてしまう

あとに残るのは 腑ぬけの殻
さながら蝉殻 もぬけの殻
呻めいてた男も 死んだんだろう
泣き虫も もう くたばったんだろう

   反歌

わたしは 夏の終わりの蝉だ
泣きやむときが 死にゆくときだ

夏の終わりを うたう蝉は
愛も歌も生も ひとつのもの

生のかぎりを わたしもうたおう
わたしの声が きみにとどくように

わたしもうたおう 最後の愛を
声をかぎりに 最後の生を

わたしのこだまが 森の茂みに
いつまでも顛えて 残るように

    一九九五年二月

(自筆原稿)


*色紙「夏の終りを鳴く蝉には」のもとの詩がこれですね。偶然みつかりました。
「夏の終りを鳴く蝉のように わたしも 声をかぎりに 最後の生をうたおう」

蝶

色紙夏の終わりの



     蝉          
             
恋びとを失くした涙を
泣いて歌っていた蝉は
               
泣くのをやめるやいなや
死んでしまった 詩人は
     
蝉のぬけがらがひとつ
枯枝で風に吹かれている
            
    一九九三年十月

(自筆原稿)

わたしは拾う

詩「小組曲」の一節です。春の生長をむかえるために冬の季節にも行動をしていこう、と静かな情景のなかに決意を込めています。

色紙

西島史子さんが大切にしていた色紙を記念館に寄贈されました。

詩集「冬の歌」の「不幸は忍び足で」からとっています。
静江入院の悲しみのなかにありながら、希望をもって生きていくことを念じています。

不幸は忍び足でいきなり やってきた
パーキンソン病症侯群の姿をして
きみは 萎えて動かぬ身を横たえる
病院のベッドの しとねの墓場に

いま病いと老いとが 生きながらに
わたしたちを生ま裂きに 引き裂いた
かつて 悦びにあふれたうつわは
一挙に 悲しみのうつわと化した

わが家のなかは もう夜よりも暗い
扉をあけても だれも答えてくれない
明るい灯を ともしてくれたきみは
そこには そこには もういない

運命は わたしに残しておいたのか
こんな冬の日の悲しみと 試練とを
春の歌ばかり 歌ってきたわたしに
いまは 冬の歌をうたえというのか

いやいやきみはひとりぼっちじゃない
そんな泣き虫になるな かかずらうな
おのれひとりの不幸や 悲しみばかりに
雪は きみにだけ降るのではない

いま怒りが日本じゅうに渦巻いている
腐肉に群がる ハイエナや禿鷲どもが
支配者としてのさばっている国で
みんなが日日の収奪や圧制と闘っている

きみにもたくさんの仲間がいるはずだ
ひとをうちのめす死や孤独や絶望に
うち勝とうと みんなと腕を組んで
きみもまた たたかってきたはずだ

大事なのはいつも立ち上がってゆくことだ
おのれの傷口や 涙のなかからさえ
最後まで希望を太陽を抱いてゆくことだ
それが冬にうち勝つ きみの冬の歌だ

「不幸は忍び足で」
きみは大地を

詩「きみは 大地を」の冒頭からとっています。
休みの日には疲れも忘れて山や高原へ出かけて花や鳥を追い求める静江、まことに天衣無縫の童女そのものでした。

きみは 大地を
                 大島博光

きみは 大地を歩きまわった
黒髪を 風になびかせながら
花をもとめ 小鳥たちを探して
まるで 水遠の童女のように

日光 小田代ヶ原の草原に
まばらに 立って咲いていた
紫の アイリスの花たちに
きみは 声をあげて見とれた

春遅い 戸隠高原のせせらぎに
群生した 水芭蕉の白い塔たちを
きみは愛(め)でて 動かなかった
そこは きみのアルカディア

尾瀬の湖畔の 木立のしたで
メボソムシクイやオールリに
きみは あかず聞きほれた
その細緻な囀りの 音楽に

あんまり風のように 歩きまわって
あんまり この世の美しいものを
見たり 聞いたりしたので
きみの神経は 狂ってしまった

あたりを 明るく照らして
あたりを あたたかく温めて
きみは 火のように燃えた
そして 炎のように燃えつきた

(詩集「老いたるオルフェの歌」)


オレンジ色
この美しい詩句はアラゴンの詩「船乗りと詩人の寓話」のなかにあります。
ジャン・フェラの作曲によって「いつかある日」というシャンソンになっています。
[いつかオレンジ色をした日がくるだろう/アラゴン]の続きを読む
アラゴン

アラゴンの感動的な詩 「未来の歌」からとっています。
[未来とは死にたいする戦いだ/アラゴン]の続きを読む
色紙
この句は詩「小さなひとつの恋物語」(『稜線』1996年)にあります。
この詩でもふたりの物語が語られています。

涼しい眼と熱い頬の娘、太陽の娘に出会って、
絶望をうたっていた詩人が希望の歌い手となった
バラも病んで老いて地に落ち 霧のように みんな消えさっても
いまだに きみと 別れられずに きみを恋うてうたう

静江と死別して3年後の作品で、「春の歌」(1997年)とならんで、詩集『老いたるオルフェの歌』の続編に入るべき詩といえます。『大島博光選集Ⅰ』では「春の歌」を採りました。
この詩は9月5日の西島史子さんの朗読会で取りあげられます。

千曲川その水

もとの詩は「千曲川その水に」(「狼煙」57号)で、千曲川への想いを凝集してうたっています。
[千曲川 その水に]の続きを読む
長野駅
雪の長野駅に降り立った静江と迎える博光。映画の一シーンのような情景が浮かびます。
『蝋人形』が解散したあとの昭和19年4月、博光は郷里松代に帰って結核の療養をはじめます。半年後、東京で知り合った静江に手紙を書いたことから静江が長野に来て、二人の人生がスタートしました。

元の詩は「きみのいない時間と空間のなかに」(『老いたるオルフェの歌』)になります。
「限界を乗り越えてゆく」という句はアラゴンの「パプロ・ピカソと呼ばれる若者の大いなる日のための演説」という長い詩の結びにあります。

< おお 画家よ おお 後の世の父よ
  おお 限界を乗り越えてゆくひとよ
  きみに挨拶をおくる
  想像された天国ではなく 地上にいるきみに
  パブロよ きみに挨拶をおくる
  きみのおかげで われらは
  きのうから永遠の方へと歩いてゆく

  パブロよ わたしはここで永遠にきみを「若者」と呼ぶ

この詩には、一貫してアラゴンの実践的なレアリストの立場がつらぬかれている。

  絵画を変えることは人間を変えることだ

 この一行には、彼じしんが苦悩にみちて体験した自己変革の重みがある。彼じしんその自己変革をふくめての実践をとおして、自己の詩を新しい人間の歌、新しい世界の歌へと変えたのであった。絶えずおのれの限界を乗り越えて。そしてアラゴンは、

  おお 限界を乗り越えてゆくひとよ

 とピカソに呼びかける。まさしく二十世紀の二人の偉大な画家と詩人は、いずれも自己の限界を越えて、つねに新しい芸術に挑戦し、新しい芸術を創造しつづけたのである。>(新日本新書『ピカソ』)
ひとは遠くから
この句は「大島博光全詩集」のあとがきにあります。
<・・・それらの詩において、わたしもアラゴンやネルーダのような先駆けの偉大な詩人たちのように、美と真実を、夢と翼を、詩と政治を、詩のなかに統一し融けあわせることをめざした・・・この詩集の、戦前・戦中の詩篇から、戦後の詩篇への転換、推移の過程そのものが、そのことを物語っているであろう。
 「ひとは遠くからやってくる」とは、ポール・ヴァイヤン・クーチュリエのことばである。「深夜の通行人」「夜の歌」の暗い穴倉の中でのうわ言、泣き言から、「わたしのうちにもそとがわにも」の苦悩を通り、「鳩の歌」「狼の時代」のひろびろとした広場へとやってきたわたしは、思えば、われながら遠くからやってきたものだという感慨を禁じえない。そうして遠くからやってきたものはさらに遠くをめざすであろう。おのれの限界を超えて。>
博光は色紙を多数残しています。自分の詩のエッセンスを書いたものやその時どきの想いを書いたものがあり、興味がひかれます。
あんまり
この色紙は「釣り師の歌」の結びの連からとっています。(
 釣りに没頭してしまって詩人の任務を果たさなかった。(しかし詩人の任務を忘れていませんよ)
ここで「葦笛」の比喩が気になります。川釣りなので葦笛がぴったりですが、単に美しい音色をだす笛というだけなのでしょうか。風に鳴るというので警鐘を鳴らすとか抵抗するような意味があるのでしょうか。
「美しき若者への挽歌」()では「葦笛のように清らかだった若者よ」と使って、清らかさを表現しています。