千曲川

ここでは、「千曲川」 に関する記事を紹介しています。
千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。



千曲川
岩野橋附近の右岸。長野市と千曲市の境になります。若いニセアカシアの木々。
千曲川
雪の北アルプスに映える若い木立。
冠着山
冠着橋(千曲市)附近から冠着山(かむりきやま=姨捨山)を望む。
ニセアカシアの木立の向こう側を千曲川が流れます。
上山田
さらに上流の万葉橋を渡ると河川敷に広がって咲いています。
上山田
下流には風情のある大正橋がかかっています。
上山田
川の向こう岸に上山田温泉のホテル群。
千曲川
上流の方も同じように咲いています。山の下あたりが坂城町になります。
千曲川
さらに上流の坂城町のねずみ橋南の交差点。両側に咲いています。
千曲川
千曲川の左岸に沿って走る国道18号上田坂城バイパス。河岸につづくニセアカシアに圧倒されます。
千曲川
上田市の半過公園附近。
千曲川
千曲川
千曲川
中洲にも対岸にも咲いています。
千曲川
花も木の姿も美しいニセアカシアですが、生育旺盛な外来種。
在来の植生への影響が大きいため伐採されているそうです。
風に乗って広がる甘い香りも悪女の白粉(おしろい)に思えてしまいました。


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20回目の長野マラソン。記念館のすぐ近くの道がコースになっています。
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長野自動車道の下をくぐると千曲川の堤防道路に出ます。
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ここが32キロ地点で、あと10Km。がんばれ!
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消防団のブラスバンドも華々しく激励の演奏。
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ちびっこもお年寄りも大声援!
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河川敷の桃が満開
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ゴール=長野オリンピックスタジアムを目指せ!
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最終ランナーが通過すると締めの演奏でお開きに。
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応援していた3人きょうだいが車の中でお弁当。
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毎年応援するのが楽しみだそうです。雨の中を頑張って来ました。
昼食をとりにはなやに入りました。
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マラソンのおかげで大入り満員となりました。
平和橋
姨捨(おばすて)から千曲川を望む眺望は素晴らしいです。篠ノ井線の下には有名な姨捨の棚田。正面は千曲市街で右手の橋が平和橋。ずっと下流にある白い高い塔の橋が千曲橋で、その先が長野市篠ノ井と松代になります。

冠着橋
上流に見える赤い橋が冠着(かむりき)橋。向こう側が博光が詩「千曲川その水に」に読み込んでいるかつての五加村。背後が大峯山。

冠着山
すぐ上に長野自動車道姨捨サービスエリアとスマートICがあります。後ろに見えるのが冠着山(姨捨山)。
千曲川
千曲川
上田付近の千曲川堤防道路は眺望が良くて快適です。
千曲川
村
上流にすすむと古い村落に入ります。
千曲川
大きな岩の上に鉄の杭を発見、
千曲川
この岩は太鼓岩といわれ、かつて吊り橋がかかっていた、その名残だそうです。
千曲川
広い道にでました。海野バイパス。
海野宿
この先にかつての宿場町として有名な海野宿(うんのじゅく)があるようです。


千曲川
千曲川のアンズも満開に

千曲川
千曲川弁慶ワク附近(長野市松代)から望む飯縄山

千曲川
弁慶ワクから上流を見る。遥かに雪の北アルプス
弁慶ワクで川は左へ90度方向を変えます。

アンズ
千曲川
川柳の巨木。博光が思い出に書いていました。

川柳
千曲川
千曲市との境にある土口水門附近から上流方向。
川岸の木々が枯れ枝色から若芽の緑に変わっています。
先にある青い橋がしなの鉄道の鉄橋

アンズ
しなの鉄道の踏切を越えるとアンズ畑が見事に開花。右がしなの鉄道、左が長野新幹線の鉄橋。
千曲川

1月半ばの寒波で初めて本格的に積もりました。千曲川土口水門付近(千曲市と長野市の境)

奇妙山

桜堤公園の土手から下流方向を望む。正面が奇妙山、左奥に石切り場。

飯縄山

河川敷の雪は深くありません。正面の飯縄山と左に赤坂橋。

はなや

駐車場の雪かきは大変だったそうで、半分は雪のまま残されています。

跳ぶ

雪の中を元気に跳ぶ
弁慶ワク

博光が2006年1月に亡くなって10年、博光の愛した千曲川の弁慶ワクに立ちました。
上流に赤坂橋。少年時代ここでよく泳いだといいます。かってはサケの産卵場でした。

弁慶ワク

ここで千曲川は急に角度を変えます。そのための河岸工事を弁慶ワクと言ったそうです。
博光のお気に入りの鯉釣り場でした。

弁慶ワク

人影はなく、飯縄山を背景に水鳥が元気に泳いでいました。

菜の花
千曲川の堤防を上流に向かって行くと咲いていました、菜の花と桃の花。

土口水門
千曲市との境にある土口水門。有数の鯉釣り場だったそうで、今日も釣り人の姿が。
この先が川中島の合戦に登場する雨宮の渡しになります。その先にかっての信越線の鉄橋が見えます。ここを渡るときは、いよいよ長野に近づいたなと懐かしい気持ちになったものでした。

下流
下流方向には岩野橋と遥かにかすむ飯縄山。川の右手すぐに妻女山が立ち上り、長野自動車道のトンネルがあります。長野自動車道から最初に見える千曲川がこのあたりです。

”灰になった わたしのひとつまみを/わがふるさとの 赤坂橋の上から/千曲川の流れに まき散らしてくれ/海へくだった鮭が さいごには/生まれた故郷の川へもどってゆくように” と博光が詩に書いたサケが実際に赤坂橋まで遡上し、産卵していたことを知りました。

長野市民新聞に長期連載中の『信州のサケ文化』(宮下健司:元県立歴史館総合情報課長・信濃史学会員:執筆)121「昭和初期における漁法」によれば、<昭和10年ころ、赤坂橋(東福寺)の近くにはサケのスレ穴(産卵床、直径2㍍、深さ0・5㍍)があり、サケがひっくり返る(メスが横向きになって尾びれで小砂利をとばす)まで網を打ってはいけないといっていた。また、晩秋のこの辺りの河原では「スレダオレ」と呼んだ産卵を終え死んだサケが拾えたという。>(長野市民新聞2013年12月7日)

当時、長野盆地ではサケ漁が盛んに行われていたそうで、<最盛期は10月中旬から12月中旬であり、漁場は犀川と千曲川とが合流する落合橋周辺の牛島付近と犀川をさかのぼった川合や丹波島、千曲川をさかのぼった関崎橋上流辺りが中心であった。・・・この時期が秋の収穫期と重なっていたために、農家ではサケが収穫祝いの祝い魚となり、「筋子の豆腐汁、あんなうめえものなかった」と語り継がれている。>(同)

昭和10年は博光が25歳、早稲田大学仏文科を卒業し「蝋人形」の編集にあたった時期になります。博光が実際に千曲川でみた鮭を思い浮かべて詩にうたった、と考えるといっそう生き生きと情景が感じられます。

 友よ わたしが死んだら
                         大島博光
友よ 友よ わたしが死んだら
灰になった わたしのひとつまみを
わがふるさとの 赤坂橋の上から
千曲川の流れに まき散らしてくれ

海へくだった鮭が さいごには
生まれた故郷の川へもどってゆくように
わたしも育った川に 帰ってゆき
そこに いつまでも漂っていたい

子供の頃に浮かべた 笹舟のように
そこに漂って いつまでも見ていたい
微笑んでくれた 岸べの菫を

そこに漂って 思い出していたい
岸べで 菜を洗っていたおふくろを
わたしを生きさせてくれた人たちを
 
  (一九五六年一月 信濃毎日新聞)


信州のサケ
ひまわり
ひまわり
ひまわり
ひまわり
桃
千曲川の堤防にある桜堤公園。右に長野自動車道が走っています。

桜堤公園
東に奇妙山

桜堤公園
白い桜が満開で眩しいほど

桜堤公園
桜堤公園
葉の色と混じって微妙な色に

桜堤公園
千曲川河川敷の桃畑と飯縄山

桃
艶やかな色なり桃の花
堤防
千曲川堤防からの松代大橋と西寺尾の村落

千曲川
千曲川弁慶ワク付近。頭だけ出した飯縄山

テラス
テラスのバラは花がらも葉も摘み終わり、年越しの準備ができました。

二人
いつも来る二人連れ、雪の中で遊んでいました。
3人
千曲川
長芋が若葉を出した千曲川の河川敷の畑
花

千曲川
千曲川
桃の実も大きくなって来ました。
IMGP1979林
昔、遊んだ川岸の林。今は人影もなく・・・
千曲川
水だけは変わりなくゆったり流れています。
桃の千曲川
千曲川の桃が満開でピンクの帯に。松代大橋の遠景に飯綱山。
桃の千曲川
桃の千曲川
桜堤公園と妻女山

桃の千曲川
桃の千曲川
旧赤坂橋はきれいに撤去されて影も形もありません。

IMGP0739木の橋桁>
ずっと昔の木の赤坂橋の橋桁の名残が川面に見えます。

桃の千曲川
桃の花と狼煙山

千曲川
雨が上がり、雪の北アルプスがやっとみられました。
千曲川
千曲川弁慶わくと飯綱山、石切り場
千曲川
旧赤坂橋の撤去工事が進んでいません。左が奇妙山、中央手前が皆神山、右が狼煙山